AIの進歩の速さの中で、人間とAIの関係について考えさせられる機会が多いです。まだ「かじる」程もAIを使えて/触れていないのですが、思考の刺激になる記事に3つ程出会ったので、感じたところをブログ記事にしてみます。各記事の引用のあと、「⇒」以下に私のコメントを記して行きます。AIについての論考は、ここ数年何度かこのブログコーナーで記事をアップしています。今あらためて読み返すと、その都度色々と思い・考えていたことがわかります。皆さんもご興味があれば、このブログコーナーの「ブログ内検索」で「AI」と打ち込めばいくつかの記事が出てきますので、お読み頂ければ幸いです。①[「なぜ?」の繰り返しが成長の原動力 競争でなく創造にエネルギーを費やす(日経ビジネス誌 2025年2月24日号の有訓無訓というコーナーでの、コミー取締役相談役 小宮山栄氏の言葉)]安全・防犯・効率改善などに役立つ多種多様な業務用ミラーを開発・製造してきました。出合い頭の衝突を防ぐために、施設の通路の曲がり角などにミラーがあるのを見かけたことがあると思います。その多くを、当社が手掛けています。…ミラーはシンプルな商品ですが、用途は様々です。本当に役に立つ商品をつくるには、実際にそれを使う人の声をとことん聞く必要があります。なぜ鏡が必要なのか、なぜそこに設置するのか。「なぜ?、なぜ?、なぜ?」を繰り返しながら、様々なニーズを捉えた独自商品を開発してきました。…最近はスマートフォンや生成AI(人工知能)で、何でもすぐに答えが見つかった気になってしまう。しかし、お客さまが心の内に抱いている本当のニーズや、様々な経営課題の真因にたどり着くには、それくらい根気強く「なぜ?」と問い続けなければならない。何より、そうやって考える作業自体が面白い。⇒「顧客が心の中に抱いている本当のニーズや様々な経営課題の真因にたどりつく」ために、根気強く「なぜ?」と問い続けることの重要性を強調しておられ、本当にその通りだと思います。同時に、対比として、スマートフォンや生成AIで探れることの限界を語っておられます。しかし、スマホやAIで探れることと生身(なまみ)の人間の根気強い「なぜ?」は、対立概念としてとらえる必要はないと思います。人間が「なぜ?」と深く問う前の、基礎情報を集めるツールとしてのスマホやAIは極めて有効なので、第1ステップでそうした作業を行い、そこから得られる情報や洞察のレベルにとどまらず、それらをふまえてさらに「なぜ?」「なぜ?」…でより深く本質に迫って行く、それが真の創造性につながるのだと思います。この第2ステップがなければ、競合企業との戦いが、彼らと共通の第1ステップにもとづくことになるゆえ、レッドオーシャン的な戦いになってしまうのです。タイトルでも小宮山氏がおっしゃっているように、競争でなく創造にエネルギーを注ぐには、この第2ステップが必須であり肝であるということだと思います。②[AIエージェントを「相棒」に(2025年2月17日付 日本経済新聞朝刊 「経済教室」の「私見卓見コーナー」 ユーアイパス会長 長谷川康一氏の投稿記事より)]…2025年に注目されているのが「AIエージェント」だ。課題を与えると、AIが自律的に情報を収集して判断・行動する。複雑な課題はタスクを分割してステップごとにAIエージェントがプロンプトを作成し、実行することで精度をあげていく。…「AIが進化すると人間の仕事を奪う」と言う人がいるが、私はそう思わない。AIエージェントは、私が京都に旅行に行きたいと言えば、スケジュールと嗜好に合わせてホテル、交通手段、レストランを提案し、予約まで済ませてくれるだろう。私の行動や考え方を観察し、誰よりもよく理解して、私の代わりに手間がかかるが必要なことを済ませてくれる、頼もしい相棒になるに違いない。誰もが自分のエージェントを持ち、面倒な作業から解放されて「やりたいこと」に自分の時間を注ぎ込める、そんな未来が手の届くところまで来ている。⇒ この記事の長谷川氏は、①の記事の小宮山氏に比べて、より積極的にAIを活用しようというスタンスですね。勝手な解釈ながら、①の記事での私がコメントした考え方が、より明確に語られていると感じます。旅行の計画(日程・旅程)をたて、具体的に予約まで行う作業は「これ自体が旅行の楽しみの一つ」という見方もありますが、大ていの人は、「やりだせばそれはそれで楽しいと思うが、できれば自分の好みを理解した誰かがやってくれると助かるし嬉しい」というものでしょう。旅行会社のとても親切なスタッフや、昔なら親切で気のきく秘書がやってくれたような作業で、これをAIエージェントがやってくれたら、それは助かるしありがたい、ということです。このあたりについて、最近読んだ未来学者のレイ・カーツワイルの「シンギュラリティはより近く 人類がAIと融合するとき」という本(NHK出版)の中に、とてもわかりやすいたとえが出ていました。③[「シンギュラリティはより近く」の第5章「未来の仕事:良くなるか悪くなるか」からの引用]…人々はまた、強化していない普通の人間が機械と競争して苦しむ姿をよく思い描くが、それは誤りだ。人間がAI搭載の機械と競争する世界を想像するのは、未来についてのまちがった考えだ。これを説明するのに、二〇二四年のスマートフォンを持ったタイムトラベラーが一九二四年に戻ったところを想像してみてほしい。この人間の知能は、大統領がカルヴィン・クーリッジである時代の人々にとって、まさに超人的だろう。高度な数学を難なく解き、あらゆる主要言語をまずまずうまく翻訳し、どの名人よりも上手にチェスを指し、ウィキペディア並みの情報を自由に操ることができるのだから。一九二四年の人々には、タイムトラベラーの能力が、彼が持つ電話機によって飛躍的に高められていることははっきりとわかるだろう。しかし、二〇二〇年代の私たちは、この視点を見失いがちだ。自分たちがすでに拡張されているとは「感じていない」のだ。同じようにして、二〇三〇年と二〇四〇年の進歩を利用し、私たちは自分の能力をシームレスに強化する。そして、私たちの脳が直接コンピュータとインターフェースを確立すると、さらに自然に感じられるようになるだろう。豊かな未来において認識能力の課題にとり組むとなれば、あらゆる面で、私たちは現在スマートフォンと競争していないのと同様、AIとも競争することはない。実際のところ、この共生関係は目新しいものではない。石器の発明以来、テクノロジーの目的は、人間の身体的及び知的な能力を拡張することにあるのだから。⇒ まさに、そういうことなのだと思います。AIがどんどん進化していくと、今人間がやっている仕事を次々にAIやAIつきロボットが肩がわりしてくれる。それは、今そうした仕事で生計をたてている人が「仕事を奪われる」と考えるのではなく、人間社会の中で、そうした仕事に従事している人達を、そうした「仕事から解放する」ととらえる方が良いのだという考え方だと思います。考えてみれば、この著者の言うように、テクノロジーによる人類の進歩は、いわば「めんどうだけどやらないとならない作業・仕事」からの解放だったのですから、その「解放」がこれまでとは桁違いの規模とスピードで起こるだけなのです。。。。とはいえ、規模とスピードの圧倒的な大きさ故に変化の過程では色々なあつれきが起こるのは確かなのだろうと思います。私はカーツワイル氏程ではないものの、そこそこ楽観的に見ています。根拠は大してないのですが、「皆、そんなにバカじゃないから何とかするはずだよね!」という感じです。究極的には、人間に残される「やること」は、次の3つだけになるのだと思います。①課題(問題とチャンス)に気づくこと(その後の解決・取組みのほとんどはAIにまかせられる)、②複数の価値判断尺度間のトレードオフに関する判断、③楽しみを見つけ楽しむこと、そして、すべての人間がそういう状態になることは、一つの理想だと考えるからでもあります。「すべての人間」がそうなる過程で様々な分断や対立や葛藤が起こることはほぼ確実で、それらを克服するのにある程度の時間はかかると思います。しかし、人類は最終的にはそれらを何とか克服できるだろうと思って(願って)います。
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