久し振りの「読書感想文」です。司馬遼太郎の作品である「菜の花の沖」の文庫本(全6冊)を、現在、4回目か5回目で読み返しています。主人公の高田屋嘉兵衛については、アマゾンの書籍紹介を以下に載せておきます。(この書籍紹介はKindle版についてのものですが、私が読んでいるのは、だいぶ前に購入した紙の文庫本です。)**************************************************江戸時代の後期、淡路島の貧家に生れた高田屋嘉兵衛は、悲惨な境遇から海の男として身を起し、ついには北辺の蝦夷・千島の海で活躍する偉大な商人に成長してゆく・・・・・・。沸騰する商品経済を内包しつつも頑なに国をとざし続ける日本と、南下する大国ロシアとのはざまで数奇な運命を生き抜いた快男児の生涯を雄大な構想で描く一大巨編、 待望の合本化!**************************************************何回読んでも、この本に登場する、高田屋嘉兵衛をはじめとする人物達の志や潔さ(”Good”)に感銘をうけます。その一方、その逆の人物や組織・社会の病根的なもの(”Bad”)については、現代の企業や組織、社会にも共通な悪さとして根深く残っていると感じ、「う~ん。本当に情けない。困ったことだな」と思いつつ読んでいます。今回のブログでは、”Good”と”Bad”について、印象に残った部分をピックアップして読者の方々に紹介しつつ、蛇足ながら私のコメントを記してみたいと思います。(本の流れに沿って”Good”と”Bad”をランダムに順次記して行きます。)(「⇒」以下に、私のコメントを記していきます。)なお、このブログはこの本の若干「ネタバレ」的になってしまいますが、ご興味をもたれた方は、ぜひ原書をお読み下さい。その上で、私とは別の観点での気づきなり印象に残る箇所がありましたら、教えて頂けると嬉しいです。かなりの分量になるので何回かに分けて記事にしていきます。①(よくぞ、あの夜、見つからなんだことよ)見つからなかったのは、僥倖にすぎない。やがて空前の航海者になってゆくこの男は、一度だけの僥倖を基礎にして物を考えるようなところを、性格としてもっていなかった。⇒ここは物語のはじめの方で、主人公が恋い慕い、後に妻となるおふさのもとに忍んで行ったあたりの叙述です。パッションに導かれて思い切った行動をする一方、僥倖(ぎょうこう)を当てにしない、地に足のついた人物像がえがかれていて、「人間こうありたいものだ」と首肯した部分です。②そのあと、幸蔵は牛のように沈黙した。声は出さなかったが、視線が嘉兵衛にそそぎつづけられていることは、闇のなかでもわかった。(この若衆頭だけは、わしに悪意をもっていない)嘉兵衛は、おもった。人間の感受性のなかで、相手が自分に愛情をもってくれているかどうかということほど、敏感なものはないかもしれない。相手の表情がみえないし、言葉もとだえてしまっているというのに、なぜそういうことがわかるのか、嘉兵衛にも答えられない。五官以外に、人間にはなにかべつな感覚機能があるのか、幸蔵が吐きつづけている息までがあたたかく感ぜられてくるのである。⇒①のできごとやその後に起こったことで、嘉兵衛は、生まれ育った淡路を村抜けすることになるのですが、嘉兵衛の起こした問題についての処置の責任をとることになった若衆頭の幸蔵とのやりとりの中の叙述です。「相手の好意」を直感的に感じとる「感受性」。たしかにそういうものがあるように思います。ただ、これはかなり互いにせっぱつまった状態の時に、より明確に現れるものかと思います。通常での人とのやりとりでは最初に感じた「好意」的なものが、あとで勘違いということがあったり、その逆のこともある、ということが、少なくとも私の人生経験では起きてきましたので。③この時期、嘉兵衛はおぼろげながらかれ自身が生涯をかけてつくりあげた哲学の原型のようなものを、身のうちにつくりつつあった。そのことは、かれの気質や嗜好と密接にむすびついている。潮汐や風、星、船舶類の構造とおなじように、嘉兵衛は自分の心までを客観化してしまうところがあった。すくなくとも自分のすべてについて、自分の目からみても他人の目からみてもほぼ誤差がないところまで自分を鍛錬しようとしている。つまりは正直ということであった。しかし不正直ほど楽なものはなく、正直ほど日常の鍛錬と勇気と自律の要るものはないとおもいはじめていた。自分と自分の心をたえず客体化して見つづけておかねば、海におこる森羅万象がわからなくなる、と嘉兵衛はおもっている。⇒「自分のすべてについて、自分の目からみても他人の目からみてもほぼ誤差がないところまで自分を鍛錬しようとしている」。並大抵のことではできない覚悟と実行力ですね。世の中のすべての人がこうであれば、社会はもっと建設的かつ円滑にまわると感じます。嘉兵衛の十分の一でも、こういう境地に達したいものだと思う次第です。④嘉兵衛の持前の癇症が頭をもたげてしまった。村にいるときも、「嘉兵衛の癇症」といわれて、毛ぎらいされた。癇症は「癇症病み」などといわれて掃除きちがいの異常なきれい好きの意味につかわれたりするが、この時代での意味は、もうすこしひろい。神経質でひとに対して怒りっぽいということでも用いられる。嘉兵衛の癇症はすこしちがう。物事の不合理や他人の不正義が病的にゆるせないという気分なのである。⇒ここでの「癇症」は、正義感とか義憤というものでしょう。世の中や社会の問題や不正義、理不尽に直面したときに、からだの奥底から湧いてくる感情であり、社会や組織を良い方向に進化・変化させるエネルギー源だと思います。私が日頃から提唱している「突込みファシリテーター」は、各自が感じながらも忖度から心の底に押し込んでいる疑問や憤りを、その場の雰囲気を破壊せずに建設的に表に出していくものですが、まずは各自が的確な正義感と義憤をもつことが出発点だと思います。⑤このあたりが、サトニラさんのおかしなところであった。かれは気の毒なほど欲深にうまれついていない。哲学としてではなく、性分として、自分が強欲でないだけに、欲で脂ぎった男や、欲のためなら人変わりする男が目の前にくると圧迫感を覚えた。ともかくも役人がにが手だった。ーーわしは瓜(うり)がきらいでな、強欲な人については、若いころは瓜ぎらいの程度で我慢ができた。が、齢をとると、寒気がするだけでなく、相手の顔を見ていられなくなっている。と、かつて誰かにいったが、このことをふくめてサトニラさんは齢とともに社交ぎらいになっており、藩役人との折衝はもっぱら伯耆八橋常駐の長男の彦助にまかせきりでいた。ーーあれほどいやなものはない。と、サトニラさんがいうのは賄賂をうけた役人が、目の前で別人のような笑顔をみせ、腰つきまでかるがるしくなることだった。人間がこの程度のことで変わるというのは、人として悲惨なことではないか。⇒「サトニラさん」というのは、嘉兵衛の義叔父で、船乗り・廻船業者としての嘉兵衛が成長していくベースを提供してくれた人物です。ここでは、「人としての品格」について語られていて、「強欲」とその裏腹の「へつらい」への嫌悪が語られており、その点、嘉兵衛と共通のものをもっています。だからこそ、サトニラさんは嘉兵衛の人物・能力を評価し、後々、実質的に自分の店を嘉兵衛に譲ったのだと思います。⑥(この嘉兵衛とやらいう若いやつ、堺屋の威光を背負っているつもりか)と伊兵衛はおもい、ここは意地悪をして嘉兵衛におのれの分を知らせてやれと思った。人々がそれぞれの分を知るのが封建の世で要求される最大の倫理であったし、相手がそれに気づかない場合には気づかせるように意地悪をしてやる。底意地の悪さというのはこの国のひとびとにとってほとんど肉体化している病気であったが、和泉屋伊兵衛においてとくにそれが濃厚だった。⇒「底意地の悪さ」がこの国のひとびとにとってほとんど肉体化している病気、というのは、本当に残念なことです。が、今でもこの種の病気は、企業や組織にしぶとく残っている気がします。「底意地の悪さ」が「封建の世で要求される、それぞれの分を知らしめるための倫理」と正当化されてしまっているのが、仕末におえないですね。これについても「突込みファシリテーター」や「突込みAIアイちゃん」で何とかして行きたいですね。以上、まずは文庫本の[1]のところまでの引用で、1回目のブログ記事とさせて頂きます。
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