「革新を追い求める前にカイゼンを」という記事をきっかけに、追加の2つの記事とともに発散的に色々思ったことを記してみます。まず、きっかけとなった最初の記事からの抜すいを紹介します。(「⇒」以下に、記事を受けた上での私のコメントを記します。)1⃣[エコノミスト360°視点 革新を追い求める前にカイゼンを(2024年8月9日付 日本経済新聞朝刊の「Opinion」というコラム記事 イェスパー・コール マネックスグループ グローバル・アンバサダー)]…米国人は想像力をかき立てる未来を示すコンセプト、アイデア、言葉を考え出すことにたけている。特に、「イノベーション(革新)」と「ディスラプション(破壊)」は、多くの日本人が称賛するコンセプトである。では、世界から称賛される日本のコンセプトとは何だろうか。私に言わせれば、それは日本文化を背景にした「カイゼン」である。何年か前、私はとあるスーパースターとパネル討論に参加したことがある。彼は公共交通の問題を解決する自動運転車の利点について熱っぽく語っていた。私は、東京と大阪にはすでにチカテツと呼ばれる完璧に機能する自動運転車があると述べた。彼は激怒し、私のことを何も知らないと言って非難した。お察しのことと思うが、その人物、イーロン・マスク氏は偉大なエンジニアなのだと思う。そして私は一介の経済学者である。ただし、経済学者にとって地下鉄と自動運転車の違いは、後者は何人かを大金持ちにできるということにすぎない。誤解しないでほしいが、私は社会主義者ではない。…しかし革新や破壊という概念がすでにある解決策をないがしろにしたり、弱体化させたりする犠牲の上に成り立つものだとしたら、社会も経済も悪くなる。米国の公共インフラが驚くほど非効率で貧弱な理由は、米国がよりよい現在のために懸命に努力するよりも、よりよい未来を夢見ることを好むからである。…一方、日本では優秀な公共サービスや利便性は未来の約束事ではなく、日々の現実である。経済的には効率が悪いかもしれないが、日本はよりバランスのとれた、便利で住みやすい国になっている。特に高齢化社会にとってこれは非常に重要なことだ。私の考えでは、日本の将来の繁栄は、企業のリーダーが「カイゼン」に執拗に焦点を当てるかどうかにかかっている。例えば、日本が独自の人工知能(AI)を発明しなかったという点を強調するより、AIの力を日々のワークフローやプロセスに導入し、業務に統合することの方がはるかに重要である。それは「カイゼン」であって、「イノベーション」ではない。日本の「カイゼン」には、一人ひとりの従業員の「好奇心」と「謙虚さ」が組み合わされている。そのトリプルKのスーパーパワーに焦点を当てれば、未来は明るいと考えている。⇒コール氏のいうように、アメリカ人は「革新」が得意で、日本人は「カイゼン」が得意なのだろうと思います。ここで重要なのは、日本人が米国人の革新(イノベーション)能力を称賛しあこがれる余り、自分達のカイゼン能力を卑下し、「革新」を「とてつもなくすごいこと」「とても自分達にはできないこと」と考えすぎることだと感じています。そんなふうに考えず、常にしっかりとした問題意識を持ちつつ、これまでやってきたトレンドラインとしての大きな流れや枠組の中で、カイゼンに取り組んでいれば、新たな時代の大きな動きや画期的な技術革新により、「既存の枠組の中でのカイゼン」だけでは対処できないことに気付くはずです。その時に既存の枠組をつきくずす新たなやり方や新たな事業機会を見出す、それが「革新」だととらえればよいのです。つまり、継続的にカイゼン機会に気づき見つける中で、現実的な対応なり取り組みをしていって、その延長で時代変化の必然によって、時に革新・イノベーションに取り組むことになる。即ち、カイゼンへの現実的かつ的確な取り組みの延長線上に革新がある、と考えればよいのです。しかし、多くの日本人や日本企業は、「革新」というと、いきなり「とんでもなくすごいことで、到底自分たちの延長ではなしえないすごいこと」と思ってしまう傾向があるように感じます。とんでもなくすごい「革新」のキーワードは、多くの場合バズワード(インパクトの大きい流行りスローガン)の形で立ち現われてきます。地球環境保護/ SDGs/ ESG/ DX/ 多様性重視/ 働き方改革/ 人的資本経営 etc. etc. こういったバズワードが「革新」のトリガーになるんだ!と真にうけて、「で、自社/ 自分にとっての具体的意味あいは何か」ということを深く考えることなく、その流れにのみ込まれる。そして、世の中の動きに遅れないために、なけなしの経営資源をリスクとリターンの見極めが不十分なまま投入してしまう。そうした次から次に押し寄せるバズワードの流れに翻弄されてしまいがちなのです。しかし、こうした「革新」を呼ぶバズワードの裏には、それぞれのバズワードに乗って世の中が動くことによってしたたかに儲ける人達や業界、企業、団体がいることを忘れてはなりません。そのあたりを次の記事は、エゲツなく説明してくれます。2⃣[情報中毒から理性守れ SNSの言葉、思考奪う 技術を自己管理の力に ジョセフ・ヒース トロント大学教授(2024年8月11日付 日本経済新聞朝刊の「直言×テクノ新世」というコラム記事より)]…「私は20世紀半ば、米国カウンターカルチャーが勃興した時代に注目してきた。1969年、40万人もの若者らを動員した音楽イベント、ウッドストック・フェスティバルはその象徴だ。反体制を掲げたこのイベントは社会に大きなうねりを生み出した。だが同時に、人間の非合理な側面が姿を現すきっかけにもなった。背後にあったのが資本主義の理論だ」「わかりやすい例を挙げよう。ロックスターは反体制のメッセージを発することで人々の支持を集める。だが、反権力・反資本主義のメッセージが支持を集めるほどに本人が権威化し、資本主義社会の勝者になるという矛盾した構造がある」「…人々を熱狂させる反骨のメッセージは商業主義と相性がいい。60年代のカウンターカルチャーは美化されてきたが、理想を何一つ実現できなかった。それどころか、強欲な資本主義を強化するきっかけになった」…「…いま資本主義を活性化させているのはハイブリット車やオーガニック食品のような消費財だ。これらは『地球環境にやさしい』と訴えて販売されている。反体制と同様、環境保護という理念も宣伝に利用される。…」…「…もちろん地球環境保護の取り組みを否定するわけではない。ただ、高邁(こうまい)な理念の背後にはしたたかな資本主義の論理があることを指摘しておきたい」…「問題は、企業が人間の弱みにつけこむことがあるという点だ。私たちの脳は大量の情報を瞬時に処理できる。だからスマートフォンの画面からとめどなく流れてくる刺激にくぎづけにされてしまう。ここに商機を見いだしたのがビッグテックの企業群だ」「これらの企業サービスにうつつを抜かしている間に、貴重な資源である集中力が奪われてしまった。刺激に身を委ねるばかりで熟考の習慣を失った人々は非合理的な判断に傾きやすい。…」⇒ヒース教授は「反体制のメッセージ」や「地球環境にやさしいという訴え」の陰には必ず「強欲な資本主義」がひそんでいることを明確に語っています。「反体制(=硬直し、一部の特権階級に都合の良いように構築された仕組への異議申し立てと打破のメッセージ)」も「環境保護」も、理念や理想としては正統だし正しいのですが、それを自分のこととして、自分なりの文脈でとらえて、自分・自社としての具体的活動に落とし込む作業をせず、単に上っつらでとらえ、世の中や他社や他の人の動きに追従するだけだと、こうした「理念喧伝産業」の人達に乗せられて、むしりとられるだけになってしまうのです。そうした「理念喧伝産業」の人達にとっては、そこで語られる「理想が何一つ実現できなくても」確実な金儲けになるので、「それでかまわない」のです。そして、そうは大っぴらに語らずに、次のバズワードの仕掛けに動くのが彼らの「ビジネスモデル」なのです。そうしたバズワード的な動きに流されることなく、着実に実務に取り組んで、安定的に業績を伸ばしている企業の1つが、次の記事の信越化学工業なのではないかと勝手に想像しています。3⃣[case3 信越化学工業 中計なしで大胆投資、実績で説得力を高める(日経ビジネス 2024年8月12・19日号の「IR発信力ランキング」という特集記事より)]「翌日の天気さえどうなるかはっきり分からないのに、将来の会社の目標を出すのは難しい」。信越化学工業IRマネージャーの松嶋英恵氏はこう語る。主力の塩化ビニール樹脂事業で世界トップシェアを誇る信越化学は、中期経営計画を出していない。今となっては中計を出さない企業もあるが、同社は1990年代前半から廃止している。それを決めたのが塩ビ事業を拡大させた中興の祖であり、2023年に亡くなった当時社長の金川千尋氏だ。…同社の福井真二広報部長は「金川氏が社長に就任する前は、中計を出していた。ところが企画部門の担当者が市場調査などに時間をかけている姿を見て『時間の無駄。そんな時間があるなら顧客へ会いに行け』と事業成長に資する行動を優先させた」と語る。…「我々は市場動向などを見て、今投資をすべきだと考えたときは大胆に実行することをいとわない。計画値に縛られず、そうした柔軟性、スピード感を持つことの方が合理的だ」と福井部長は言う。まさに「機を見るに敏」だ。結果、企業価値が向上し、株主にも評価されるという好循環を狙える。「正しい数字、正しい会社の姿を伝えていく。背伸びすることもない。誇張して何かを話すことも極力避ける」と福井部長。⇒この記事だけでは、信越化学工業が「バズワード」の追いかけをしていないかどうかはわかりませんが、多くの企業の「中期経営計画」が、その時々のバズワードをちりばめ、背伸びした数値計画なるもので構成されていることを考えると、「誇張して何かを話すことも極力避ける」という言葉もありますので、バズワードに振り回されたり、追従したやり方はしていないのではないかと思う次第です。「改革」や「革新」その他のバズワードにまどわされず、問題や機会を見つけ、①の記事のコール氏の言う「カイゼン」アプローチで取り組み、その延長上/ 連続線上に革新レベルの大胆投資が行われるということなのだと推測します。以上、「革新」とか「理念的バズワード」に付和雷同する愚と、カイゼンの延長線上に革新を射程に入れる、という考え方をお伝えしました。読者の皆さんの何らかの参考となれば幸いです。
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