ある雑誌を読んでいたら、東北大学法学部長の水野紀子さんという方が、「恩師を語る」というエッセイで、元東京大学総長の加藤一郎さん—大学紛争の時に総長を務めた方です—のことを追想した文章の中に、「なるほどなあ」と感じた言葉がありました。曰く: 【・・・・・近作の論文で次のような文章を書いた。「民法学は、妥協と共生の秩序である。『法=正義』と言われるが、民法は短い言葉による正義の対極にあって、むしろ正義は不可知であるという諦観が、民法学の根底にあるように思われる」。これを指して、「加藤先生のお弟子さんだなあと思いました」とある方から感想を言われたときは、しみじみと嬉しかった。・・・・・法律学は、本来、さまざまな矛盾や限界を内包した人間社会を、それでもあくまでも肯定的に抱え込んで、その哀しみすら消化して、より平和な将来につなげていこうと努力する学問である。加藤先生の民法学は、その典型的な例で、物事を見極めながら慎重な努力を続ける責任感と、根底にある人間社会への愛情と共感がそれを支えていた。・・・・・】 実によい、そして深い言葉だと思いました。「民法学」を「ありたい社会や政治や世界の『ありよう』」と読み替えられる内容だと思います。 つい昨日書いたブログ記事の「お互いにすべてのことをわかり合うことはできないが、わかり合おうと努力することはできる⇒その中で、スパッと行かなくても、何とか大人の対応と、わかり合うための継続的努力でやって行くしかない」というのと通底しているために、余計に心にしみたのかもしれません。 同時に、水野さんから恩師への深い敬愛にあふれていて、その意味でも良い文章だと感じました。 P.S. 以下、全くの余談ですが。。。 私は水野さんとも加藤さんとも接点はないのですが、水野さんのエッセイを読んでいて、一度だけ加藤さんを極く近くでお見かけしたことがあるのを思い出しました。 たしか東大の全学運動会というのがあり、私はクラブ(ハンドボール部)の関係か何かで駆り出され、入場行進の際にプラカード持ちの一人をやらされて、その時に加藤総長の背中が目の前にあり、また、その後の開会挨拶でも目の前でお話をされ、「学長なのに偉そうな感じのしない方だな & 実に立派な体格の方だな」という印象をもった記憶があります。それが今蘇ってきて、当時のことをあれこれと懐かしく思い出しています。
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