【・・・・・友情関係における落胆や喜びを経験する中で、「自分と同じ人間は存在しない」「人間はお互いにすべてがわかりあえるわけではない」ということ、つまり、人間の「個別性」に気づいていくのである。 「個別性」に気づき始めた青年の中には、どうせわかり合えないのだから人と関わるのをやめてしまおう、とひきこもってしまう人もいる。しかし「お互いにすべてのことをわかり合うことはできないが、わかり合おうと努力することはできる」という考え方ができるようになることが、社会的生物として集団に適応していくには重要なことである・・・・・】 。。。これはつい最近読み終えた、植木理恵さんという心理学者・臨床心理士の方の本(「本当にわかる心理学」)の一節です。 この一節を読んでいて、なぜか最近風雲急を告げていて「結構まずいな」と思っている、日韓、日中、さらには日ロの領土問題のことを思ってしまいました。 上の一節は、領土問題とは全く関係なく、青年期の人間の心の成長に関する叙述なのですが、「人間・青年・人」を「国民・民族」に、「集団」を「世界の人たち」に読み替えると、領土問題にまつわる様々なことに、そのまま当てはまるのではないかと思いました。 「領土問題」というのは大変厄介なもので、竹島とか尖閣列島、北方領土のニュースに接すると、普段「とても平和主義者」と自負する自分に、「恥辱にまみれるくらいなら、命などものともせず、名誉を守るために戦うべし」という、とんでもない玉砕主義的戦闘心がむらむらと湧いてくるのを感じ、「危ない、危ない」と思う自分にほっとしつつ、それでもやはり「潔しとしない」自分をいくぶんか感じます。 冷静に考えれば「殺しつくしあう」ほどの意味も価値も全くないにも関わらず、そうした危険な心情になるような問題であり、しかもどう考えても互いにwin/winな解決策が見出しがたいのですから、互いに大人の対応で刺激しないようにし、また上の一節の精神で「互いにすべてのことをわかり合うことはできないと認識しつつ、わかり合おうとする努力をし続ける」のがベストだと思います。 。。。かといって、相手が図に乗ってさらに好戦的になって、こちらがおとなしくしていれば、ズルズルズルズルと「そもそも正当には、日本の領土とされるものは、もともとすべて我が国のもの」などという理不尽な主張をひょっとして押し付けられるのではないかという、疑心暗鬼・プライド傷つけられ感・ムカつき感も出て来るのであって、実に度し難いテーマです。 その意味で、上記の引用文が、実に心にグッと来たわけです。 このブログの趣旨は以上なのですが、領土問題的な「感情面の要素があり、かつ双方にとってwin/winな、スパッとした解決策が見出しがたい」問題への取り組み方について、少し蛇足の議論を以下にしてみたいと思います。 こうした問題については、なんといっても「双方の大人の対応と、わかり合おうとする継続的努力」が求められるわけですが、一つの「苦肉の策」としては、前にこのブログで取り上げた「worth とvalue」の考え方が適用できるのではないか、という発想です。 意思決定する時の価値判断尺度には、大別して「value(相対的価値)」と「worth(絶対的価値)」がある、というとらえ方で、簡単に言うとworthは銭金(ぜにかね)の問題としてとらえたくない要素–領土問題の文脈でいえば、名誉とかプライドとかになります—、一方のvalueとはまさに銭金的に扱える要素、ということです。 別の本では、valueに相当するものとして「economic value」、worthに相当するものとして「social value」と呼んでいましたが、ほぼ同じことかと思います。 さて、私の「苦肉の策の発想」ですが、通常、互いの「worth」と「worth」のぶつかり合いで双方がいがみ合っている問題について、「value」の面を積極的に浮き彫りにする作業に、双方一緒にチームとして取り組む、というアプローチです。 具体的に言うと、複数の選択肢—極端には「戦火を交えてでも決着をつける」「話し合いで日本領有とする」「話し合いで中国領とする」「話し合いで分割領有する」「領有権の問題は棚上げして—双方とも自国領という主張は保持するものの、相手の主張に対しては、そのまま放っておく—、実際的には共同統治と共同利用をする」etc—を設定し、それらについてのお互いから見たメリットとデメリットをどんどん挙げていく。 その際に、value面とりわけ経済的な要素をできるだけ挙げて行き、またworth面でも、プライドや名誉以外の要素をきちんと挙げていくことがポイントです。。。要は、尖閣諸島(⇒釣魚台)を完全に日本(⇒中国)のものとすることで得られる経済的メリットと、国交断絶となった時に被る経済的デメリット、さらに交戦で失われるかもしれない人命をしっかり俎上に乗せて議論することです。 考えたくもありませんが、全面戦争にでもなったら、どれだけの人命や財産、経済活動が失われるか、そして両国間の不幸な関係がその後どれだけ長く続くか—多分100年では収まらないでしょう—、などを互いの意識の表面にきちんと浮上させて考えれば、「戦火を交えてでも決着をつける」などという選択肢を選ぶことはありえない、ということは火を見るよりも明らかなことが、こうしたvalueに着目した議論によって可能になるのではないかと考えた次第です。 この「苦肉の策アプローチ」は、プライド・名誉といった視点のworth的には「美しくない」と思いますが、私は「耽美的破滅」より「美しくない平和」の方をあえて選びたいと思っています。 以上、少し筆が滑ってしまいましたが、蛇足の考察でした。
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