早稲田大学ビジネススクール教授でローランド・ベルガー会長の遠藤功さんの「新幹線お掃除の天使たち」という本を読みました。現場の人たちの英雄的頑張りと、それをリードした役員の方の物語で、大変興味深く、そして何より感動的な話でした。 テレビなどでも取り上げられた、JR東日本の子会社で、新幹線の車両清掃を行う「テッセイ」という会社の、サービスレベル向上とそれを支える組織力=現場力向上への取り組みの物語です。 (このブログ記事で本一冊分を要約することはできないので、興味のある方はご自分で読んでみて下さい。) 。。。さて、この本、たいへん感動的ではあるのですが、読んでいる途中から私の中に、「民間企業において、顧客への提供価値向上が、企業価値向上(=通常は、もっとお金が儲かるようになる方向)に結びつかないときに、その活動をどう正当化したらよいのか、あるいは正当化できるのだろうか?」という疑問がわいてきました。 通常の民間企業だと、顧客へのサービスレベル向上は、市場シェア拡大や価格アップ(価格下落を抑止するケースも含めて)、時としてこちらサイドのコスト削減などを通じて、自社の収益拡大(⇒株主価値向上)につながります。 しかしながら「テッセイ」の場合は、親会社であるJR東日本の100%子会社で、この種の事業としてはJR東日本グループの中ではほぼ独占といってよい状況のようですから、市場シェア拡大はあてはまりません。また顧客(=JR東日本)の顧客である新幹線の乗客の満足度が高くなっても、それで乗客がより高い値段を払ってくれるわけではありませんから、JR東日本がテッセイの新幹線清掃の仕事に対して、より多くのお金を払ってくれることにもなりそうにありません。 JR東日本の運営する新幹線と激しい競争をしている企業があれば、テッセイのサービスレベル向上で、そうした会社から顧客を奪うことでJR東日本の売り上げが増え、その見返りが反映されて、テッセイの売り上げが増えるということも理屈としては、考えられなくはありません。 しかし現実には、東北新幹線にしても上越新幹線にしても、乗客は他の交通手段を使うチョイスに乏しく、事実上JR東日本の独占であり、極端な話、テッセイのサービスレベルを多少下げても乗客は逃げ場がなく、また逆に満足度が上がったとしても、「こんな素晴らしい新幹線だから、是非もっと乗りたい!」といって、これまで以上の頻度で新幹線に乗りにくる人もいそうにありません。 サービスレベルを上げる活動によりテッセイの社員の仕事に対する満足感や自己実現度が上がることが、なんらかの道筋で(たとえば離職率低下で採用コストが下がる、といった形で)、テッセイという会社のコスト削減に寄与する、ということも考えられなくもありませんが、それほど大きな要因とは考えにくい気がします。 となると「今までも普通に仕事をやってきていて、JR東日本からも乗客からも特に文句が出ているわけじゃない。もともと清掃が仕事なのに、トータルサービスとか言って、どうしてそんなことまでしなくてはいけないの?なぜこんなにしてまで頑張らなくちゃならないのか?!」という社員が出てきても不思議はないわけで、事実そうしたこともあったように読み取れます。 それに対して、変革をリードした矢部さんという取締役経営企画部長は、「一人ひとりが主役になる」「新幹線劇場」「駅の中の接客業」などのキーワードを通じて社員を鼓舞し、大多数のスタッフがそれに賛同することで、こうした素晴らしい現場力を作り上げてきた、というのが著者のメッセージです。 この矢部さんがJR東日本からテッセイに出向になった時、「どうせ行くならいい会社にしたい!」「テッセイをトータルサービスの会社にしたい」という思いを抱いていた、というくだりがあり、普通に読んでいると「さすがリーダーたる人は、こういう高い志とビジョンを持っているんだな」と素直に感動します。 しかしよく考えてみると、この人は自分がオーナーとして会社を立ち上げたわけではなく、すでにそれなりにきちんとまわっている会社を、自分の個人的な志—それ自体は立派で、それに共鳴する社員がいっぱい出てくるから結果的には素晴らしいことではあるのですが—に従って社員を巻き込んでいるのです。しかもこの活動自体は会社の収益向上には基本的に影響を及ぼさず、場合によっては、逆に、この活動によるコスト増すら、あるかもしれないのです。 この素晴らしいビジョンには賛同しないけれど、それなりに仕事はしている、という人たちも多分いたはずで、その人たちからすれば「単に経営企画部長の趣味じゃないか。何で自分たちがそれに協力したり巻き込まれたりしなくちゃならないのか?!」と感じた可能性があるのではないか、と思うわけです。 誤解しないで頂きたいのですが、私は矢部さんのやったこと自体には大いに賛同、どころか感動しているのです。。。ではあるのですが、「経営企画部長の趣味じゃないか?!」の声に対しての正当なる反論の根拠をどこに置いたらよいのか、という質問への答えを探しあぐねているのです。 もちろん、「いや、本の中では美しい話しか書かれてないけど、実際にはちゃんと収益拡大に寄与している、or 少なくとも、放っておいたら収益減少したであろう状況を改善した」という可能性はあります。 たとえば、最近の日経ビジネスのコラムで、JR九州の会長さんが、次のような主旨のことを言っておられます。: 〇1992年をピークに鉄道の収入が減少し続けていた 〇2004年3月の九州新幹線(熊本・新八代~鹿児島中央間)の開通をひかえ、それを増収にしっかり結び付けたかった 〇そのために、乗客の満足度を高めるため列車を増発したり、車両や駅の施設を(5S運動などを通じて)清掃してきれいに保ち、安全に運航するように心がけた これなら—–立派ではありますが—–、通常の経営判断として理解できますよね。もしかするとJR東日本でも、こうした類の背景・理由があって、テッセイに乗り込んだ矢部さんが、その一環としてトータルサービス企業への変革を行ったのかもしれません。 ただ、本の中にはそうしたことは一言も書かれていないので、一応そうした、通常の収益拡大・改善の文脈での経営判断によるものではなかったものとして、さらに議論を進めてみます。 可能な議論としては。。。 〇「社員が元気で働く職場」ということ自体に価値がある 〇多くの企業の本来の設立理念・ミッションは、決して儲けること自体にはないのであって、喜ぶお客さんや社員が多くいるということ自体に意義がある 〇したがって収益拡大につながらないことでも、(通常の株主が一番気にするであろう)収益を大きく損なわない限りは、ミッションの原理原則に沿った活動は当然に正当化できる 〇収益が少なからず犠牲になる活動であっても、そのことを株主にきちんと伝えれば、問題ない 〇また、中期的にはそうしたことに理解を示す人や企業に株主になってもらうように、メッセージを発信し続けていく 。。。といった感じでしょうか? ただ、創業者かつオーナー経営者で「収益拡大はもともと目指さない。お金的には、社員と自分がそこそこ生活できるレベルの給料が払えるだけで良い。それさえクリアーできれば、あとは、もともとこの会社を設立したミッション・ビジョンの実現のためだけに、企業活動をやって行くんだ」という場合は、いざ知らず、通常の資本主義の世の中で、「株主としてのリターンをできるだけ多く欲しい」という普通の株主が大半を占める企業において、こうしたことが正当化できるんだろうか、という疑念は残っていて、今一、まだ納得感・腹落ち感がないので、この思索の旅はまだ未完というか継続中です。 。。。とここまで書いてきたところで、少し別のことが頭に浮かんで来ました。「強すぎる現場力の罠」あるいは「何のための現場力なのか」という本質的課題認識です。以下、少し論じてみます。 通常の資本主義の世の中で、収益拡大の文脈の中で経営にあたる経営者の戦略方向性と「世界一の現場力」の発揮の方向が一致していないと、けっこう不幸なことが起こる気がします。極端な可能性としては、「現場が匠の技」にこだわる結果、顧客が求めるものと大きく乖離し、結果として、少し前のブログに書いた「過剰品質」に陥る危険性があります。 テッセイの場合は「顧客へのトータルサービス」を目指しているので、こうした陥穽に陥る可能性は低いとは思いますが、サービスレベル向上が行きすぎると「たとえ1億人に一人のニーズでも、いつでも対応できる体制を整えておく。それがテッセイ魂」なんてことになって、結局高コストを招いて赤字転落なんてことも、可能性としてはあるわけです。「強すぎる現場力の暴走の危険」ですね。 少し観点が違いますが、強すぎる現場力が、企業戦略の大きな方向性を狂わせる可能性もあります。会社全体の戦略方向性が時代環境の変化に適応できない状況になってしまった時、「家貧しゅうして孝子出ず」という感じで、短期的にはそれを救うような英雄的工夫や商品開発・頑張りを現場がやってしまう。それによって、長期的にはもはや有効性を失った戦略方向性に対する抜本的変革の打ち手が遅れてしまう、という症状です。 この英雄的工夫や頑張りが、本当に抜本的かつ長期的な起死回生策になるものなら素晴らしいのですが、そうでない場合は、結局は単なる延命策&長期的には(抜本的変革着手の遅れのために)より悲劇的状況に陥らせることになります。 冷たい言い方をすれば「へたに現場が頑張らない方が、会社として、また産業としての抜本的な構造転換はうまく行く」ということになります。ここ10年ばかりの日本企業でのV字回復の事例をみると、現場が最後まで踏ん張りきる前に、トップ層が総入れ替えになって、その新たな経営陣のもとで打ち出された新たな戦略方向性の中で「強い現場力が有効に生かされた」ケースが多いように感じられます。 以上、今回のブログは、結論のはっきりしない、私の思考プロセスに皆さんをつき合わさせてしまっただけに終わってしまいます。たまにはこういうのもありかな、の気分ですのでご容赦ください。 今時点での私の、取りあえずの結論めいたものは、「これらについての一般解はないのかもしれない。したがって、後は、こうした思考プロセスや思考実験で培った思考の筋肉と知見を活かして、個々の具体的なケースごとに、個別特殊解を何とかかんとか見出して行けば、少なくとも当面は、それでいいんじゃないか?!」というものです。 このブログには、とくに賛否両論etcあると思いますので、皆さんのフィードバックを期待しています!
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