連載ブログの第2回として、前回に続いて3つの「Not:⇒But:」を綴ってみたいと思います。 【6】 Re:市場での競争 Not:シェア(市場占有率)極大化を目指す But:シェアは結果(それ自体には無関心) 大半の「Not:」の企業は、市場を出来るだけ大きく捉えた上で、その中で競合を排除し、蹴落として、シェア(市場占有率)の極大化を目指します。 一方、「But:」の世界では、企業の存在価値(ミッション・ビジョン)の実現の中で、提供する製品・サービスに共鳴する顧客に、彼らの期待を上回る価値(Value Proposition(VP):顧客への価値訴求ポイント)を提供することに集中します。 その際、「市場全体の中でのシェア(市場占有率)」という発想/視点は無意味であり、企業としてはシェアはあくまで結果であって、直接の関心事項ではないということになります。 通常のマーケティングのとらえ方で言えば、自分達の製品・サービスのVPを認めてくれる顧客セグメントを明確にし、その絞り込んだセグメントに対するVPを詰め込んだ製品・サービスを提供する。そして、競合が追随を諦めるほどの高いレベルのVPを提供する結果、そのターゲットセグメントでのシェアを極大化する―できれば100%へ―、ということになろうかと思います。 しかし、「But:」の世界観からすれば、経営計画を策定したり、収益見通しを立てる場合に、作業としてこのやり方をとるにしろ、気持ち的にはシェアという概念はどんどん稀薄になっていく、というのが私の予想です。 最近のマーケティングトレンドに、マスブランド(マス市場を狙った巨大ブランド)から、スモールブランド(絞り込んだ市場・ターゲット・顧客向けの小ブランド)へという傾向があるとのことですが、当事者が明確に意識しているかどうかは別として、私の予想方向と軌を一にした動きなのではないかと勝手に思っています。 これらの想定は、今時点ではいささかきれいごと過ぎるように響くかと思います。私自身も、一挙にこうなるとは思っていません。しかし、長期的方向性としては、この方向に動いていくのではないか、そしてその方が世の中全体がよりHappyになっていくのではないか、と考えています。 不毛なシェア争いから価格のたたき合いになり、結果として市場の金額規模が縮小し、関連業界に携わる人たちの処遇・給料の低下・・・という負のスパイラルをみるにつけ、こうした思いを強くする次第です。 【7】 Re:取引先相手 Not:儲けさせてくれる相手とビジネスを行う But:気持ちの良い取引が出来る人達とビジネスを行う 通常、ビジネスは、【1】【2】の「Not:」で述べたように、売上最大化・利益極大化を目指しますから、出来るだけ多くの顧客、とりわけお金を多く払ってくれそうな顧客の獲得を目指します。 また、サプライヤーなどの取引先事業者は、出来るだけ高品質な部品や材料を低価格で提供してくれる相手を選びます。 「But:」の世界でも、こうした要素が皆無になることはないものの、自分達の存在価値(=ミッション・ビジョン)に照らして、共鳴してくれる顧客や取引先事業者、つまり「気持ちの良い取引きが出来る人達」とビジネスをすることの方がより重視されるようになっていく、という見立てです。 先日のあるビジネス誌に「シェア経済の拡大で顕在化“不道徳消費者”のリスクと対策」という記事が載っており、個人間の質問サイト「OKWAVE」を運営するオウケイウェイブという会社のことが紹介されていました。(ちなみに、ここで「シェア経済」という時の「シェア」は、シェアリング・エコノミー(共有化経済)のシェアであり、【3】の「Not:」で論じたシェア(市場占有率)とは、言葉として全く別の意味合いで使っていますので、ご注意ください。) オウケイウェイブ曰く「これからは誰がお金を持っているかよりも、誰と気持ち良い取引が出来るかが大事になってくる」ということで、「感謝指数」と名づけた新たな個人の評価軸を発表した、とのことです。 詳細は割愛しますが、要は、事業者(この場合は、特に飲食店)が、不道徳な顧客を排除し、気持ち良くサービス提供できる顧客に絞り込んで、気持ち良くビジネスをする、という方向を支援しよう、ということのようです。 「事業者が顧客を選別するのはけしからん!」という声もあろうかと思いますが、顧客が事業者を選別出来るのだから、本来その逆があってもしかるべき、という考えには一理あると思います。 ここまで述べてきた【1】~【6】を「Not:」で行く限り、【7】も「Not:」になるでしょうが、【1】~【6】で「But:」を選べば、十分【7】の「But:」も成り立つのではないでしょうか? 結果的に「巨大企業-マス市場」という経済・社会全体の構図が、「気持ち良い取引をする『適正規模企業-共鳴する顧客グループと取引き先企業群』の集合体ないしネットワーク」という構図になって行き、より気持ちの良い社会や世の中の実現に近づいていくのではないか、という仮説です。 【8】 Re:事業領域の多角化と効率化 Not(only):選択と集中による効率化 But(also):企業の存在目的(=ミッション・ビジョン)の発露としての事業領域 私自身、「選択と集中の意思決定」という本を書いているくらいですので、選択と集中ということ自体を否定するものではありません。但し、それは、 ①企業のそもそもの存在目的(=ミッション・ビジョン)に照らした、 ②不確実性を見据えた、 ③長期的視点に立った、 という3つの大前提に立った上での話です。 多くの企業の「選択と集中」は、残念ながら、企業の存在目的ならぬ (ⅰ)利益極大化のみを求める株主要求に過剰適応した、 (ⅱ)リスク面の不確実性を出来るだけ排除した(⇒同時にチャンス面での不確実性を無視した)、 (ⅲ)短期的視点、 に陥りがちです。 従って、①、②、③の意味では、「Not only:→But also:」であり、(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)の意味で、「Not:→But:」なのです。 野放図な多角化での危機に陥った企業が、(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)の意味での選択と集中で倒産の危機を切り抜ければ、それを指揮した経営者は「英雄」として祭り上げられます。 そのフェーズが過ぎて一段落すると、今度は「一本足打法」などと批判される。そして次は「成長の為の多角化→儲からない事業群の増大→会社全体の収益性の低下→再びの選択と集中」というサイクルを繰り返すわけです。 このサイクルの最初の「選択と集中」で英雄となった経営者は、「成長の為の多角化の種をまく」ところまでをやって、英雄経営者として引退/卒業の花道を歩み、そして、5~10年後にまた次の英雄が…というストーリーに、デジャブ感を持たれる読者も多いのではないでしょうか。 本来、①、②、③の意味での選択と集中を目指すべきなのですが、それが往々にして(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)になってしまうなら、いっそのこと、企業の存在目的に照らして、それに共鳴する社員/顧客/株主/取引先事業者らの関係者が興味を持ち、その中で、関係者全員がHappyになれるレベルの企業全体の業績が担保されることだけを必要条件として、様々な事業分野に手を出して行けばいいじゃないか、というところまで振り子を振り切ったのがここでの「But:」です。 (ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)の選択と集中をやっていると、長期的視点に立った事業戦略に取り組みにくくなり、とりわけ不確実性に満ちた新規事業やR&D(研究開発)投資は、不確実性に伴うリスクを嫌うがゆえに切り捨てられ、それは同時に不確実性の持つチャンスを放棄することに繋がるのです。 その結果、短期的な業績は劇的に改善するものの、その時の短期的な事業環境に過剰に適応するがゆえに、中長期的に訪れる事業環境の激変に対応する企業能力・余力を持つことができずに、時にはそうした激変の瞬間に「一巻の終わり」になってしまいかねないのです。 逆に「企業の存在目的の発露としての事業領域」という捉え方をしておけば、存在目的に共鳴する人達の自発的意欲に基づいて、様々な新規事業や新規戦略、研究開発に取り組むことが可能となり、企業は様々な人材やスキル、多様な視点を持つことができ、それらの相互刺激により、各事業はより良く磨かれ、またシナジー効果も期待できます。 結果、事業環境激変が起こっても、それまでに培った色々な事業やスキル、人材によって、環境変化を乗り越えられる可能性が高くなるのです。 この辺りは、生物進化とのアナロジーが念頭にあります。生物進化においては、様々な突然変異が起こりますが、その大半は、その時点での生態・自然環境にとって無価値&無害です。。。有害な突然変異は当該生物個体の生存を極端に不利にするので、そうした有害な突然変異は遺伝的に継承されず、従って残り続ける突然変異は、必然的に、ごく一部の有用なものと大半の無価値&無害のものとなるためです。 そうした、その時点では無価値・無害な突然変異を持つDNAであるがゆえに、一朝、環境の激変が起こったときには、それまで無価値・無害だった突然変異のうちのいくつかが、有用なものとして機能し出して、生物を生き残らせる。。。という意味でのアナロジーです。 ともあれ、こうした「企業の存在目的の発露としての事業領域」という考えに基づいて、事業の多角化や様々な事業・研究に手を出し続けることが、むしろ長期的な企業の繁栄に繋がるのではないか、というのが私の仮説です。 もちろん、「But:」の多角化を野放図に行っていくと、企業の存在目的に共鳴する関係者の最低限のHappinessを担保するだけの事業業績すら確保出来なくなる恐れはあります。 だからこその、 ①企業のそもそもの存在目的(=ミッション・ビジョン)に照らした、 ②不確実性を見据えた、 ③長期的視点に立った、 選択と集中は必要になるわけです。その意味での「Not (only):→But (also):」なのです。そしてまさに、そこにディシジョンマネジメントの方法論が役立つのです。 以上、【「Not:→But:」でつづる、「これからの社会・経済・人のあり方の仕組み・価値観」の変化の予感】の【Ⅱ】として、3つの「Not:→But:」を追加してみました。 大ぐくりにとらえると、「Not:」は性悪説/貪欲追求、「But:」は性善説・生きがい追求ということかと思います。悩ましいのは、【緩すぎるナイーブな(=うぶな)「But:」】よりも、【きつい管理ガチガチな「Not:」】の方が、短期的には企業業績は改善するということです。 しかしここではあえて、その【きつい管理ガチガチな「Not:」】を大きく越えるものとして、【活力と心地よい緊張感あふれる「But:」】の方向性を提唱してみました。 ディシジョンマネジメント自体は、それを活用する人や企業・組織に価値観を押しつける方法論では決してありません。従って私は、サポートを依頼されれば、たとえ「Not:」の価値観を持つ人や企業・組織であってもサポートを惜しみません。 但し、これまでディシジョンマネジメント(DM)の考え方をお伝えした上で、DMに強く共鳴したり、また実際に継続的に活用している方々を改めて思い浮かべると、傾向的には、圧倒的に「But:」方向の価値観を持つ方が多かったように思います。 またここまで書き進める中で、私自身の個人的想いも、「But:」の方向にかなり近い気がしています。。。。もちろん、「But:」をナイーブに(=うぶに)信じ込むことのはらむ危険性には常に十分に目配りしつつ、という但し書きつきです。
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