毎年夏になると8月15日の終戦記念日前後に、戦争に関するテレビの特集や論説記事を頻繁に目にします。その度に、「なんだかなあ」というモヤモヤ感があり、今年はそれに関する書籍を読んだりしました。。。色々読んだり考えたりしているうちに、ブログを書くのに時間が経ってしまい、11月にアップすることになってしまいました。「モヤモヤ感」の中身は、こうした特集が戦争の悲惨さを伝え「そうした惨禍を二度とくり返すべきでない」というメッセージを発しつつ、では今の日本にとっての「じゃ、どうする?!」についての具体的選択肢についてはほとんど語らず、そうした特集の何となくの結論というか流れとして、「戦争絶対反対、軍備強化は日本の平和主義に反する」をメッセージとして送ってきている気がしていて「本当にそれでいいのか?」という思いです。しかし、3つもの軍備強化に走る独裁国家に囲まれた今の日本が、そういうことをただ口で唱え平和を祈っているだけで、今の平和を享受し続けられるのか、「う〜ん」と思ってしまうのです。これまでは、仕事上の配慮もあり、こうした政治的課題について自分の考えを表明したりブログに書くことを控えてきたのですが、もう年齢も年齢なので、今回思い切ってブログ記事にすることとしました。最初にお断りしておきますが、結論としての私の考えは極端な主張ではなくごく穏当なもの、と私自身は考えています。読んだ書籍や記事からの引用に対するコメントを連ねて論を進めて行きたいと思います。(「⇒」以下に私のコメントを記して行きます。)1⃣[米国の戦略は「日本解体」だった 米国観を見直し、従属から対等に(2025年8月25日付 日経ビジネス誌の「専門記者の眼 THEME → 国際関係・安全保障」という記事でのノンフィクション作家・現代史研究家の保阪正康氏へのインタビュー記事から)](以下の引用で、太字部分は編集者からの問いかけの部分です)…31年の満州事変から45年の太平洋戦争終結までの15年間も、ようやく歴史の中に入る。80年の時を経て、その時期を迎えた――。この視座から見えてくるのは何でしょうか。保阪正康氏(以下、保阪氏) この15年間、日本は「優柔不断な帝国主義者」でした。戦略を持たず、目の前で起こる事象に対し場当たり的に対応することしかできない。この「戦略なき国家」という性格は今も続いていると考えています。…中国奥地へと誘導され侵略例えば近衛文麿内閣など当時の日本は、中国への侵略を明確な国策、国家意思として持ってはいませんでした。中国が戦略的に起こす行動に、軍事が行き当たりばったりで対処していたら「侵略」という形になっていた――。現代を生きる私たちは、侵略を反省するだけでなく、戦略を立てることができず、優柔不断に終始したことも反省すべきです。…保阪氏 この戦争が進むにつれ、中国は英国と米国を巻き込むべく、日本との対立状態をつくることに腐心しました。その策の一つが中国奥地への誘導です。…日本兵が攻めてきたら奥地へ逃げる。日本軍はそれを追う。その日本軍が後続と離れた時点で分断し、孤立した日本軍を徹底的にたたく。どの都市やポイントを押さえるのか、日本軍は戦略を持っていませんでした。それゆえ、中国軍に誘導されるまま奥地へと進んでいった。相手が逃げるから追いかけて、土地が空いたから入っていく。これを繰り返した結果が侵略となったわけです。…このように日中戦争は、日本が一方的に侵略した戦争という単純なものではなく、日本が中国の巧妙なわなにはまったという側面もあるのです。…保阪氏 米国が立てた戦略にはまって41年12月に真珠湾攻撃を実行し、全面戦争に突き進んでいきました。1940年前後の米国は、欧州での対ドイツ戦に参戦する正当な理由を探していました。ドイツとの戦闘に苦戦する英首相のウィンストン・チャーチルから参戦を強く求められたからです。そこで目を付けたのが日独伊三国同盟でした。日本と米国が戦争状態になれば、日本の同盟国であるドイツと戦争する名目となります。…日米交渉においては、日本に厳しい条件を突きつけていきます。典型例は同年11月に出されたハル・ノートです。①中国及び仏領インドシナからの全面撤兵(中国に満州国を含むかどうかは明記されていない)②日独伊三国同盟からの離脱――。これに対して日本の軍部は中国から撤兵し、ドイツと手を切る、というのはのめる条件ではないという。ハル・ノートが出される前の10月、陸相を務めていた東條英機は首相の近衛文麿に「10万人の血であがなって獲得した中国での権益を失ったら、10万人の兵士に申し訳が立たない」と答えました。米国が提示する条件をのめないと判断した日本は真珠湾攻撃へと進むことになりました。…保阪氏 当時の米大統領、フランクリン・ルーズベルトは真珠湾攻撃を受けた直後に行った演説の中で「講和はあり得ない。日本を徹底的にたたいて解体する。二度と米国に歯向かわない国家にする」と宣言しました。…――ルーズベルトはなぜそこまで厳しい決定を下したのでしょう。保阪氏 やはり、ファシズムは絶対に許さないという考えだったのだと思います。そして、ファシズムは米国をはじめとする民主主義によって打倒されたという歴史をつくりたかった。…保阪氏 そして、今日に至るまで、日本に歯向かわせることなく従属関係の下に置いています。米国は、敵対する国に解体まで迫る国なのです。この時の演説のように、あまり注目されていない出来事の細部に実は本質が隠れています。…保阪氏 日米関係をより良いものにするには、互恵・平等・対等なものにしていく必要があると考えます。政治的にも、経済的にも、軍事的にも、そうなるよう努力する。最も難しい軍事について言うと、日本の軍事はいかにあるべきかという根本から問い直すべきだと思います。自分の国を自分で守るにはどうすればよいかの枠組みをつくる。その枠組みの中で、米国と協力する部分を決めていく。今は、この枠組みがありません。そして、何かことが起こるたびに、継ぎ当てのように対策を講じている。日本は依然として戦略なき国家と言わざるを得ません。…――その関連で、保阪さんは「一国平和主義」を批判されていますね。保阪氏 「日本は平和を存分に味わっている。その安全は現実には米国によって守られている」という「一国平和主義」を自責すべきだと考えます。日本を守るため米国の兵士が死ぬ可能性がある――。このことに思いをいたすべきです。――日本が戦略を主体的に立てられる国家になるためにはどうすればよいでしょう。保阪氏 先の戦争について、中国や米国の戦略に乗せられた点は反省すべき点です。こうしたことを繰り返さないために大事なことが2つあります。一つは、客観的事実を主観的願望ですり替えないこと。戦争の時の軍事指導者がやったことです。もう一つは、目の前の事実を見るだけでなく、その裏を分析すること。⇒この記事と前後して、保阪氏の著書「なぜ日本人は間違えたのか」(新潮新書)にも目を通したのですが、書籍の内容紹介としては、この日経ビジネスのインタビュー記事が端的でわかりやすいと思ったので、そこから引用してみました。保阪氏のお名前は、前からある程度知ってはいたのですが、保守というか右寄りの論客ということで、これまで何となく敬遠してきました。しかし、この記事や書籍を読む限り、極めてまっとうなことをおっしゃっているように思いました。戦後教育での「戦争はすべて日本が悪かった。その愚かな戦争に負けてアメリカのおかげで民主主義国家に生まれ変わって良かった」という、右寄りの人からは「被虐史観」といわれる考え方を教えられてきた、私のような人間からすると「ちょっと右っぽすぎるかも」という印象は若干無きにしもあらずではありましたが、保阪氏の言う「優柔不断の行き当たりばったりの戦略なき」国家というのは当たっているし、その悪弊は、国家のみならず企業や組織にも、今現在も色濃く残っている気がします。当時の中国やアメリカの、先を見据えたしっかりとした全体構想をもった戦略的思考を見ると、今の日本にも、国や企業としての戦略思考が本当に必要なんだなと強く感じます。また、当時のアメリカの「ファシズム打壊、日本解体」は、我々が学校で習ったような「民主主義を世界に広げる」という理想の側面とともに、「日本を自国にとって都合の良い国にして従属させる」というどす黒さをもつ打算も確かにあったはずで、それが現実の政治や国際社会だということを、日本人はもっとしっかりと認識しておく必要があると感じました。保阪氏の著書と前後して、①[日中外交秘録 垂秀夫 駐中国大使の闘い 「中国が最も恐れる男」衝撃の回顧録(文芸春秋社刊)]と②[「あの戦争」は何だったのか 辻田真佐憲(講談社現代新書)]も読みました。①はタイトルにある通り、現場で実際に見たこと、経験したこと、考え方や行動が記されており、大変興味深く読みました。また、垂(たるみ)氏の「歴史に恥じない外交」「後世の検証に耐えられる外交」という言葉に込められた強い意志・志・覚悟に共感しました。「ひとりの人間としての生き方」として、この言葉を「歴史に恥じない生き方」「孫・子(まご・こ)や後輩の検証に耐えられる生き方・言動」と読みかえれば、志や人類愛的倫理観をもつ人間としての生き方に通じると感じました。同時に、垂(たるみ)氏もまた、日本や日本人の戦略的思考の弱さを強調され残念がっておられました。②についても、本の「はじめに」にあった…日本の過ちばかりを糾弾することでも、日本の過去を無条件に称賛することでもない。過ちを素直に認めながら、そこに潜んでいた”正しさの可能性”を掘り起こして現在につなげる、言い換えれば「小さく否定し、大きく肯定する」語りを試みることである。それこそが、われわれの未来につながる歴史叙述ではないだろうか。…本書は、このような問題意識のもと、あの戦争を現在につながる大きな流れへと接続し、「われわれの物語」としてふたたび受け入れ、最終的に「あの戦争は何だったのか」という究極の問いに答えるための試みである。の考えに沿った、これも大変興味深い内容でした。ただ、書かれた内容に「なるほど、たしかに…」とうなずきつつ、「で、結局何だったのか」については、それを考える際におさえるべき濃い内容の事実や解釈・考え方の理解が深まったものの「結局□□だったんだよね。だから、今の我々は現在の世界情勢や日本の置かれた立場・現状からすると○○の方向に行くべきだ」との結論的方向性について著者ははっきりとした断言はせず、そこについては読者各々に委ねる、というスタンスなのかなと思いました。そんなことを考えている中で、9月15日の日本経済新聞の経済教室の私見卓見コーナーで、次のような記事に出会いました。[「医療・教育立国」で防衛力強化を トライウォール 会長 鈴木雄二]世界各地で紛争が相次ぐ中、日本は戦争前提の軍備増強だけで国家を防衛できるのだろうか。軍備増強は周辺国を刺激し、軍拡競争につながる可能性もある。戦後80年がたった今こそ、軍備のみに頼らない新しい防衛の形を模索すべき時期だろう。私は日本を「攻められない国」にする国家戦略を提案したい。…日本も軍事力のみに頼らず、存在価値を高めることが、防衛につながるのではないか。例えば、日本を「医療・教育国家」に変革する。まず医療面では奨学金や補助金を充実させ、世界中から優秀な医師や学生・医療従事者を1人1億かけて1000人呼ぶ。同時に最先端の医療設備を5000億円かけて整備し、1万人の医学生を1人1千万円の奨学金で集めれば、総額7000億円で済む。10万人まで増やしても1兆円しかかからない。医学生は無料で学べる義務として世界中で2年間の医療ボランティアに従事し、赤十字のように敵味方関係なく人道的支援に徹し、日本政府が給与を支払う。…日本で学んだ医師が世界中で活躍し、医療ボランティア制度など世界各地で人道的活動を担うようになれば、日本は国際社会に不可欠な存在となる。他国は自国出身の学生や医師・医療従事者が大勢いて、世界各地で医療貢献する国への攻撃は手控えるだろう。軍備に数十兆円を投じるより、はるかに合理的だ。並行して幼児教育から高等教育までの質を高め、医療分野以外でも世界中の優秀な学者や若者を日本に呼び込む体制を整える。世界の優秀な頭脳を集めることで「知の防衛」体制を創る。⇒「軍備のみに頼らない新しい防衛の形を模索すべき」には、確かになるほどと思いました。軍備ではない形としての「医療・教育立国」という切り口も一理あると感じます。「こんなに貢献してくれている国は攻撃したくない」「自国出身の学生や医師・医療従事者もいて、世界各地で医療貢献する基盤を提供している国への攻撃は控えよう」というソフトパワーでの防衛には一定の説得力があると感じました。私自身は、「そうは言っても、このソフトパワーだけでは3つもの軍備増強に走る独裁国家に囲まれている中では、不十分では?!」と感じるので、今現在のレベルよりも軍事的防衛力を増強するのは必要だろうと思っています。しかし、終戦記念日のたびにくり返される「戦争の悲惨さを忘れないように」「戦争の惨禍をくり返さないように、平和に徹しよう」というだけの状況から脱却して、もっと具体的に「じゃ、今の日本は戦争を回避し平和を希求するために、何を具体的にどうしよう」という戦略的思考にもとづいて、鈴木氏も含めた様々な論者が積極的に発信し、意見を交える場がもっと提供されるべきだと思うのです。その中では、鈴木氏だけでなく、様々な人達の新たなアイデアがあり、また歴史や現在の国際情勢を知悉している保阪氏や垂氏・辻田氏をはじめとする人達が意見・提言を述べ合い建設的にディスカッションすることが必要だし重要だと、あらためて思う次第です。以上、とりあえず「もやもや」感の中で考えたことを記してみました。
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