「日常雑感/プライベート」のエントリーとしては少し長くて「かたい」話なのですが、このカテゴリーの最初の記事であることに免じていただき、3年程前に訪れたペルー旅行の時に感じたことを綴ることにします。 長年行ってみたいと思っていた、インカ帝国の遺跡であるマチュピチュや首都だったクスコ、インカ族発祥の地とされるチチカカ湖、またもっと以前の時代のナスカの地上絵 などを、念願かなって訪れることができました。 1990年から2000年までカリフォルニアに住んでいた時に、メキシコのマヤ遺跡までは行ったことがあったのですが、南米は初めてで、見るもの聞くもの、随分と異なることが いっぱいで新鮮でした。そして、人間、場所や環境が変わると、普段とは違うことを感じたり考えたりするものですが、この旅でも、いろいろと感じ・考えることがありましたので、以下に2つばかりご紹介してみたいと思います。(以下、ガイドブックや現地ツアーガイドさんの説明を中心とした知識にもとづく私の勝手な感想なので、事実認識に 誤りがあるかもしれませんが、その点はご容赦下さい。) 1.Rule-breaker/「暗黙の与件」の怖さ 様々な面で高度な文化・文明をもち、南北4000㎞にも及ぶ版図を誇った大帝国が、ピサロ率いるわずか200人足らずのスペイン人(コンキスタドール=征服者)に征服されてしまった、という事実。この、普通なら考えられないようなことが起こった背景に、「Rule-breaker/暗黙の与件」の怖さがあったように思います。 まず、「こちらが友好的に・紳士的に接すれば、相手もそのように対応してくるはず」という思い込み、暗黙の与件がインカ側にはあったようです。しかし、宣教師集団でもあったコンキスタドールにとって、異教徒であるインカの人達は、ある意味人間ではなかったために、自分達の黄金収奪相手としての単なる「お人好し集団」であり、何のた めらいもなく、友好的な人達相手に計略・殺戮を仕掛けたのでしょう。。。相手が自分達と同じ人間だと思わなければ、「非人道的」という言葉すらあてはまらないのですから。 またインカ側は、スペイン人たちがもはや紳士的・友好的相手ではなく恐ろしい殺戮・収奪者集団だと気付き、2万人の兵士を動員して戦いを挑んだ際も、南米でのそれまでの戦い方の基本ルールである「夜は戦わない」という習慣を衝かれ、結局敗退してしまった、ということも起こったそうです。 いずれにしろ、自分達にとって当たり前と思っていた前提・与件が破られた時、信じられないほどの弱さ・脆さを露呈する、歴史の見本だと思います。ここから、「凝り固まった宗教の恐ろしさ」とか、「相手は常に隙をうかがっている悪人、という前提で、自分の身は自分でいつも守れる力・体制を整えていることが必要」というポリティカルな意味合いを引き出すことも可能ですが、ここでの主旨ではありません。私としては、”Rule-breaker/「暗黙の与件」の怖さ”を認識した事業戦略立案・意思決定の重要性、という意味合いを皆さんと共有したいと思います。 例えば、起死回生の事業戦略を考えなければならないような状況において、自社のこれまでの事業運営における「暗黙の与件」は何か、あるいは自社も含めた業界の既存プレーヤーが前提としている事柄を洗い出し、それら「既存の掟」を打ち破る「掟破りの策」を考えることで、起死回生の事業戦略の着想を得る、といった活用方法があると思います。 また、ディシジョンヒエラルキー(意思決定の階層図)のポリシーレベルの意思決定項目、すなわち与件確認事項を議論する際、どこかに、そこに書かれていない「暗黙の与件」があり、それを競合企業が掟破りすることによって、自社のポジションが大きく脅かされる危険性はないのか、あるとしたらそれはどんなものだろう、という議論も有効でしょう。 2.別系列技術の破壊力 インカの石材建築・石組みの技術は「カミソリの刃1枚すら通さない」として多くの人に知られています。確かに実際に見てみても、感動的ですらあります。しかし、インカの感動的な石組みの壁のかたわらに、スペイン人たちの作った、比較としてはある種まことに「みばの悪い」、セメントで間をつなぐ石壁を見て、考えさせられてしまいました。 確かにインカの石組みの技術は大変高度で素晴らしいのですが、一方これは、大変な労力と時間を要するものです。従って、インカの時代でも、こうした高度な技術を使った石組みは、王宮や神殿には使われましたが、庶民の家のそれには適用されなかったそうです。現地のガイドさんが、王宮・神殿、貴族階級や富裕層、ごく一般的な庶民階級の、それぞれの石組みを、現物を前に比較対照して説明してくれましたが、一般的庶民のものは、セメント技術のものに比べても見劣りしていました。 何が言いたいかというと、一つの技術系列を極めていっても、その技術系列と全く違う技術が現れた場合、せっかく磨き上げた技術が、ある日突然無意味になってしまう恐れがある、ということを常に念頭においておく必要がある、ということです。「イノベーションのジレンマ」でクリステンセンが語った「破壊的技術」ともつながりますが、 ①「目的に照らした技術の有効性」という視点の重要性:要は、どんな顧客を対象として、どんなValue Proposition(価値訴求ポイント)なのか、という観点から、費用対効果の面で、今の技術系列と新たな技術系列を、そのレベルアップの可能性も含めて比較する、といった意識を常に持ち続けることが必要だということです。 ②「技術は、フレームを変えるパワーを持っている」という認識の重要性:全く異なる別の技術系列の出現により、今の技術系列がそもそも陳腐化する可能性が常にある、技術革新にはそれだけのフレームシフトのインパクトがある、ということです。 。。。以上、ともにフレーム、すなわち「ものごとのとらえ方、考え方の枠組み」に関する気づきでしたが、「ところ変われば、新たな気づき」の例としてのこぼれ話として楽しんで読んで頂ければ幸いです。
スパムが非常に多いため、一時的にコメントは受け付けないように設定しました。コメントを頂ける方は、CONTACT USにある当社のメールアドレスまで直接お寄せ下さい。