「日本企業にはビジョンや戦略がない」と、よく言われます。ではいったい、ビジョンとは何なのでしょう? 私は、そもそも、こういう言い方をする人達の大半に、少なからぬ不信感を覚えています。なぜなら、彼らはこういった批判・警句めいたことをいう割には、いったいどんなものがビジョン足りうるもので、それを作るにはどうしたら良いか、といった具体論に踏み込むことが少ないからです。 世間一般に「企業ビジョン」として打ち出されるものの中身の、典型的なパターンは、「スローガンと数値目標」でしょう。美辞麗句的な言葉(スローガン)と、高くかかげた(ほとんどありえない)数値目標は、確かにわかりやすいものですが、果たしてものの役に立っているのでしょうか? 企業業績が良い間は、スローガンはそれなりに聞こえが良く、「立派なビジョンが企業業績を引っ張っている」と思われがちですが、実態はその逆で、「業績が良いから、美辞麗句的なビジョンが、立派に見えているだけ」というケースの方が多いのではないかと思います。 そして数値目標は、うまくいっている熱気をさらにかきたてるべくトップが掲げているが、社員はそれほど気にしていない、というのが実態でしょう。 従って、最近のようにいったん事業環境が激変して厳しくなるとともに、皆正気に戻って、美辞麗句も(ありえない)数値目標も横に置いて、現実の戦略課題に取り組む、ということになります。。。ということは、実質的には、こうした企業ビジョンは、企業がうまく行っている時の、トップの自己満足、社員のお祭り騒ぎの対象、という以上の役に立ってはいない、というと言い過ぎでしょうか? 数値目標といえば、よく「ストレッチ目標」ということが言われます。「今の延長線上で、そこそこできるだろう」という数値ではダメ、という意味なのですが、かといって「ありえない」と思われては意味がありません。従って、「今の延長線上では到底できそうにないが、工夫とやる気次第でなんとかできるのではないか」とミドル以下の社員に思わせられる、ぎりぎりのラインとしての数値目標を設定できるのが、トップの腕の見せ所です。 そのためには、「いざとなれば自らやってみせる」という気概と、それを支える実質としての、具体的事業構想や、その一歩手前の戦略着眼点を、自ら示せる必要があります。 それができるからこそ、社員や関係者に「ありえるかも」と思わせられるストレッチ目標の設定が可能になるわけです。 さもないと、「ありえない数値→トップ自身に何の確たるアイデアも根拠もない、単なる願望・妄想を無理やり押しつけているだけ」と見破られ、社員の大半はしらけるだけです。 私の知るある大企業では、数年前まで好調だった業績が、今ずいぶんと悪化しているのですが、それでもトップが、以前掲げた「ありえない数値目標」の達成を各部門にいまだに迫っており、いまや心あるミドルやシニアの大半が、「そんなありえない数値の達成を迫られても、とにかく今は現場での状況対応と改善を必死にやるだけ。目標数値未達なら降格、とかなんとか恫喝するなら、どうぞご勝手に!」といった気分だそうです。 こういう「ゴタク(美辞麗句のスローガン)とありえない数値(と恫喝)」の企業ビジョンは、百害あって一利なし、に限りなく近いということです。 ではいったい、役に立つ企業ビジョンとはいったいどういうものでしょうか?私は、二つの階層ないし段階で考えると良いと思っています。一つは長期的・超長期的「ミッション・ビジョン」、二つ目は短・中期的「大枠の戦略方向性」です。 まず「ミッション・ビジョン」ですが、これは、「企業や事業として世の中に誕生し存続し続ける理由」といったもので、多くの企業では、大枠の事業ドメインや、事業のやり方に関する原理原則が語られるものです。高い志やロマン、また崇高な目的といった意味合いのもの、少なくとも10年、20年、場合によっては永続的にこれで行くんだ、という熱い思いが語られるものです。松下やソニーの創業の頃の「水道哲学」や「愉快なる工場」などがその典型的な例だと思います。 一方、「大枠の戦略方向性」というのは、もっともっと実務的なもの、短・中期的に事業価値を高めるための、時限立法的なものです。たとえば「選択と集中」とか「ハードからソリューションへ」というのが典型的な例ですが、これらの言葉のどこにも、崇高な目的や社員を高揚させる要素はなく、これまでの「なんでもかんでも手を出しすぎて、結局どの事業も機能も中途半端」や、「顧客の求めるものや状況が大きく変わっているのに、相も変わらずハード単品の売り切り商売だけでは、もうやっていけない」という状況を打破するために掲げられた、方向転換のスローガンなのです。 これらの例でもわかるように、「大枠の戦略方向性」については、これまでの方向性を明確に否定しているところに特徴があります。それが「時限立法的」というゆえんで、今までとは違う方向に企業を引っ張っていくのですから、こうしたスローガンをいつまでも言っているようではダメで、方向転換は数年以内に完了し、その後はもうそのスローガンは言う必要がなくなるようにしないといけないのです。この際、数値目標の設定は、スローガンを補完し、数年以内に到達したい目標レベルを、分かりやすい目安として提示するという意味では有効だと思います。しかしそれはあくまで「目安」であって、その数値の達成に向けた具体策の検討にこれから着手しようという状況では、「そもそもまだコミットしようがないもの」と考えるのが自然でしょう。 そこで、「数年以内にそのスローガンを言う必要がなくなるようにする」ためには、打ち出した「大枠の戦略方向性」を実現するために、具体的に取り組むべき複数の戦略課題のリスト(=これを戦略アジェンダと呼んでいます)を策定し、各課題についての取り組み体制・担当を決めることが重要です。 そして各課題について、具体的解決策の策定と実施を、トップの腕まくりのリーダーシップのもと、ミドル・前線も含めた組織一体となった取り組みをしていく必要があります。まさに、そこのところで、私が提唱するディシジョンマネジメントの方法論やディシジョンマインドの考え方が有効に働くことになるわけです。 さて、話を「ミッション・ビジョン」に戻しますが、私の考えでは、良い「ミッション・ビジョン」には、「好き」と「得意」と「喜ばれる」という要素が含まれていると思います。 まず「好き」は、社員・企業として、ともかく自分たちはこれが好きなんだ・それをやること自体が嬉しいんだ、それを徹底追求して、極端に言うと、たとえ食えなくても(つまり儲からなくても)なんら悔いることはない、という強い思いです。「愉快なる工場」の「愉快」の部分などは、これの典型例かと思います。 次に「得意」とは、文字通り、他社に比べて優れていることがらで、世の中には「好き」であっても「得意」でないので食えない、ということもあるため、この要素が必要になります。「愉快なる工場」の「工場」の部分、すなわち「ものづくり」にこだわるところがこれにあたりますし、「○○技術で社会に貢献」といったタイプのものもそうです。 三番目の「喜ばれる」は、「こういうタイプのお客さんに喜んでもらいたい、こういう貢献をして行きたいんだ」というもので、松下の「水道哲学」などは、そういった要素 が強いと思います。 以上、少し話が長くなってしまいましたが、「役に立つ企業ビジョン」という視点で私の考えを述べてみました。皆さんの属する企業・組織においても、是非「ゴタクとあり えない数値」を乗り越えた実務的な企業ビジョンによって、実践的に企業革新・組織革新・事業業績向上に取り組んで頂きたいと思います。
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