今日は久しぶりに、4月から始めた大阪府へのお手伝いを通じて感じたことについて、続編を書いてみたいと思います。 6月11日のブログ記事に書いたように、4月からのお手伝いのメインは、ある一つの大きな戦略課題につき、課題のフレーミング・戦略代替案の設定・定量的リスクリターン分析を、自治体ならではの複数の価値判断尺度に照らして検討することなのですが、そのほかのことについても、私の持っているスキルで役立つことは時間の許す範囲でお手伝いしています。 後者の一つとして、6月に大阪府スタッフの方々向けに、「わかりやすい説明資料づくりのスキル」研修を、2回にわたって行いました。そもそもの発端は、今現在大阪府の改革検討作業の中で様々な個別テーマについて検討が進んでいるのですが、せっかく突っ込んだ良い分析や検討をしても、資料が分かりにくいためにオーディエンスに伝わりにくい、という問題意識があり、それを何とかするのを手伝ってくれないか、という要請でした。 確かに渡された資料を見ると、なかなか鋭く突っ込んだ分析・検討がなされており、各分析チャートから興味深い洞察が導き出されているのですが、それらから全体として何が言いたいのか、またそれに至るストーリーの道筋が分かりにくく、「で、それで?」については、オーディエンスがある種「判じ物」の解読をさせられる、という感じのものになっていました。 そこで、まず研修一回目の冒頭に、「one-page one-message原則」(=1ページで伝えるメッセージは一つに絞り、それをクリアーに伝えられるようにチャートをつくる)とか、「(極端な言い方をすると)IQが20低い人でもわかるような、わかりやすいチャートとストーリーを心がける」とか、「(単なる)データ資料集⇒(少し改善された)洞察付き分析資料集⇒(オーディエンスのアクションにつながるような)メッセージを伝えるためのプレゼンテーション資料への進化」といった、「わかりやすい資料作りのための簡単な『心得集』」的なことを講義しました。 その上で、「洞察付き分析資料集」レベルにある、一つの個別事業分析の資料を俎上に載せ、それにつき担当者から他の参加者に説明をし内容を理解してもらった上で、先ほどの「心得集」の観点から、各ページの作り方やストーリー展開について、どのような改善が考えられるかを、2グループに分かれてディスカッションし、それを発表してもらい、お互いに助言しあってもらいました。またさらにそこに、担当者自身からの改善点の気付きをシェアしてもらい、私からの助言も行いました。 この第1回目セッションの後、各チームで「メッセージを伝えるためのプレゼンテーション資料」としての改善版を作成してもらい、約2週間後の第2回目セッションで発表&質疑応答を行いました。両チームそれぞれ特徴のある、なかなかのレベルのものができており、担当者からも「とても参考になった」とのフィードバックが聞かれました。また参加者からは、「メッセージを伝えるためのプレゼンテーション資料」のコツがつかめた、といった感想が聞かれました。 その後、第2回目セッションの二つのアウトプットも参考に、担当者の方が、セッション前の「洞察付き分析資料集」レベルの「Beforeバージョン」を、「メッセージを伝えるためのプレゼンテーション資料」レベルの「Afterバージョン」へのブラッシュアップを行いました。 そして、第2回目セッションの3週間後に橋下知事に説明し、好評のフィードバックを受けることができました。お手伝いした私としても大変嬉しく、また、ぜひ今回の「Beforeバージョン」と「Afterバージョン」を、大阪府における「わかりやすい資料づくりのテキスト」的に活用していただきたいと願った次第です。 さて今日のブログ記事の本題はここからなのですが、今回の2回の研修とその後の大阪府のスタッフの方々とのやり取りを通じて、官僚から政治家への「レク」なるものがなぜ必要なのか、といったことにつき、下記のような感慨を持ちました。。。以下の文章は、私の感想・解釈が入っており、必ずしもスタッフの方々の言葉そのものではありません、念のため。(。。。この言い訳的文章自体、以下の文脈の意味での若干官僚的発想で、私も少し毒されつつあるのかもしれません。。。) スタッフの方々と話したところ、官僚の人達の基本的認識として、「メッセージを伝えるプレゼンテーション資料」という発想はもともと存在せず、したがってそうした教育・トレーニングは受けていないのだそうです。橋下知事の改革への取り組みで初めてこうした「メッセージを伝えるためのプレゼンテーション資料」づくりが必要になってきた、というわけです。 加えて、役所の資料は、ありとあらゆる立場の人が見、また批判(場合によっては揚げ足取り的なものも含めて)の対象となるため、できるだけ正確に。。。ということは、本質から外れない限り、細かいことは若干捨象しつつメッセージを伝える、というプレゼンテーションの発想とは相いれない発想からつくられる。。。、ということのようです。 なるほどなあ、と感じつつ、スタッフの方々には、「今後も、どうしても伝統的役所発想の資料づくりが必要な場面があるとは思いますが、ある程度本音で議論できる場面では、できるだけ『メッセージを伝えるためのプレゼンテーション資料』の発想を使ってください。その際、今回のBeforeバージョンとAfterバージョンを一つのテキストとして活用してください。」とお話ししました。 その時私が連想したのが、冒頭の「官僚から政治家への『レク』がなぜ必要なのか?/その理由とは?」という問題認識です。 今回の「Beforeバージョン」ですら、「洞察付き分析資料集」レベルであり、「メッセージを伝えるための説明資料」としては、それ以前の「(単なる)データ資料集」よりずっとましだったわけで、通常よほどの天才的頭脳の持ち主でなければ、「(単なる)データ資料集」を見せられて、「で、なんなの? だからどうすればいいの?」を考え付く/見抜くことはほぼ不可能ではないか、と思います。 当該行政の膨大な知識について素人の政治家が、その任に就くとき、当然まずは基本的知識・認識を持つ必要があります。その時、官僚から渡された資料が「(単なる)データ資料集」であれば、官僚からの「レクチャー」(これを略して「レク」と呼ばれているようです)なしには理解不能であるのは当然でしょう。 「この『レク』を通じて、政治家が徐々に官僚側に取り込まれていく」などと、マスコミなら「官僚の狡知」を伝えたりするのでしょうが、今回の大阪府での私の経験からすると、実はそれほど悪意があるわけではなく、単に資料がわかりにくいために「レクチャー」が必要、ということなのではないかと思った次第です。 もちろん、官僚側が「メッセージを伝えるためのプレゼンテーション資料」づくりをすれば、そのメッセージなりストーリーにより官僚から政治家への洗脳がさらに酷くなる、という反論もありそうですが、少なくとも、短時間で何がメッセージか/ストーリーかを伝えてもらえば、それに対する違和感や変更の必要性、また新たな/別の切り口からの気付きができる程度の知的レベルは、当然政治家側にあるはずなので、その心配はそう大きくないと考えます。 むしろ避けるべきは、官僚側に特段悪意はないのに、わかりにくい資料のために長々としたレクが必要となり、その長い時間の中で政治家が知らず知らずのうちに官僚と同じ発想になってしまい、本来持っていた優れた着想・発想を活用できなくなってしまう、という事態なのではないかと感じるわけです。 官僚側が、ありとあらゆる「揚げ足取り」を未然に防ぐために、「鉄壁の守備」のわかりにくい資料を作ってしまい、それをわからせるための「レク」を通じて、せっかくの政治家の発想が官僚サイドに取り込まれ/なじんでしまい、「世論の大勢を正しい方向に導く」政治家の発想や役割が果たせなくなることを、ぜひとも防ぐ必要があると思います。そのための一助として、今回大阪府でやったような「メッセージを伝えるプレゼンテーション資料づくりのスキル」トレーニング的なものも役立つのではないかと思っています。 ごくごく短い、感想文的なブログ記事にするつもりが、またまた長くなってしまいました。。。反省、反省!
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