11月15日のブログ記事の続編です。今回は、見聞2として、11月初旬に参加したセミナーで講演を聞いた若者たちについて書いてみます。 11月4日に、DESIGN INNOVATION FORUM 2010という公開セミナーが東大の安田講堂であり、その中のトピックの「期待学」というのが「意思決定」と近接領域のように思えることから興味を覚え、参加してきました。主として午後に論じられた「期待学」そのものについては、まだ着手したばかりといった感じでいろいろトライしており面白かったので、継続的にウォッチして行きたいと思いました。 今日のブログのトピックである「頼もしい若者たち」というのは、午前中の基調講演で「デザインエンジニアリングによる価値の創造」というプレゼンテーションを行った、takramというベンチャーの代表の田川氏と畑中氏の二人です。 この二人は東大の機械工学科の卒業生で、講演は「takramは、デザインとエンジニアリングの二つの視点を生かした多角的アプローチでインタラクティブなアート作品からソフトウェア、ハードウェアまで幅広い製品を手掛けている。この講演では、takramの考えるデザインエンジニアリングという新しい職業のあり方や実際のデザインプロジェクト事例の紹介を行う」という、まさに「たくらむ」といった趣旨の野心的なプレゼンテーションでした。 こういった分野では有名なベンチャーらしく、私は初めて聞いたのですが、とても面白い講演でした。とくにその中に出てきたPrototyping(=Concept-makeからConcept-proofまでを、実際にものを作ったり、あるいはそれが難しいものについてはCGやビデオを使うなどして、それを見る人にそのコンセプトのイメージを生き生きと具体的に持ってもらうようにする、という概念・活動)は、イノベーションマネジメントに大いに役立ちそうだと思いました。 私がイノベーションマネジメント関連のディシジョンラボを行うときには、新コンセプト商品やサービスがあった場合となかった場合(=Before とAfter、ないしwithとwithout)をできるだけヴィジュアルに明示するよう受講生に助言しますし、時にはそれを潜在顧客に見せてインタビューすることで、そのコンセプトの市場浸透度の推定に役立てることがあるのですが、そうした場面でtakramに手伝ってもらうと私のクライアントにとって役立ちそうだな、とも感じました。 このように、Prototypingの概念と実践自体、大変興味深かったのですが、このブログで取り上げたいのは、takramの事業運営の仕方や、それをリードしているこの若者たちの姿勢についてです。具体的には次の3点が印象に残りました。 ①良い意味での万能感・自信がある: 基本的に言葉の端端に「俺たちはすごいんだ!」感がみなぎっていました。最近の若者は草食系だとか野心がないとか言われますが、そんな事とは無縁の、「デザインエンジニアリングで世の中を変えてやるんだ。これからどう発展していくか全貌はまだ見えないけど、すごくチャレンジングでわくわくする」といったニュアンスが伝わってきました。シリコンバレーのベンチャーの若者にも共通するものです。 大企業で若手が思い切ったコンセプトの提案をすると、幹部・トップ層から「その程度のことは他の人・企業でもできるんじゃない?なぜ君たちにしか・うちの会社にしかできないと思うのかね?」などと突っ込まれることが多いのですが、takramの若者たちなら、「その返事をしている間に、実際にこのコンセプトの有効性を顧客に認めてもらった方が早いですし、事実すでにそれをやってしまいました。で、何か?」とでも返しそうな勢いです。 ②既存のエスタブリッシュメント(大企業)の事業インフラをしたたかに使う: 実際のデザインプロジェクト事例をいくつか紹介していましたが、ほとんどが東芝をはじめとする大企業との共同事業、ないし彼らを顧客としてのものでした。シリコンバレーのベンチャーの歴史を見ても、軍需をはじめとして、政府や大企業を最初の顧客として事業を安定的かつ急速に立ち上げた例が多いのですが、このしたたかさをtakramも持っているな、と感じました。 ③最初からグローバルな事業展開を意識し・目指している: 当日のプレゼンテーション資料も、takramのホームページも、全て英語で作られていて、グローバル市場を最初から狙っていることが明らかでした。(ただし、彼らのホームページは私からすると結構とっつきにくい感じでしたが。。。ひょっとすると、彼らがこのHPを見てほしいと思っている人にはこれで良いのであって、むしろそれ以外の私のような人間を排除できるから今のままでOK、と思っているのかも知れません。) 以上3点からの私の感想は、「Matureな・したたかな万能感を持った、なかなかたくましい・頼もしい若者たちだな」ということです。「最近の若者は頼りない」だとか、「海外に積極的に出て行く気概を持った若者が減っていて嘆かわしい」だとか聞きますが、いつの時代も、やる気のある若者はいるし、彼らは放っといても自力で道を切り開いていく、ということではないでしょうか。 もちろん少し前の時代に比べて、現状満足派や国内安住型の比率が相対的に増えているのかもしれませんが、それは昔に比べて今の状況がはるかに居心地良くなってきており、海外に積極的に打って出なくても国内でそこそこ面白いことがある、という状況判断からの、極めて自然な反応と見ることができるのではないでしょうか。(。。。ちなみに私の娘は今ロンドンに住んで仕事をしているのですが、娘の話を聞くと、生活面、住居・住宅設備面、医療の面など様々な点において、日本での生活の快適度が高いことが実感されます。) 従って、憂いている大人たちの心配通り今後の日本の展望は明るくない、ということが若者たちの間ではっきり認識されるようになれば、自然の成り行きとして、現状満足派や国内安住型の若者の比率は減って行くのだと思います。「そうなってからでは遅い!」という声もあると思いますが、takramの若者たちのような頼もしい人たちも一方にはいて、彼らが新しい事業や市場を切り開いて行っているのですから、「余計な心配は御無用」なのです。 そして何より、「最近の若者は心配だ。このままでは日本は・・・」などと悲観的言辞を弄して世の中の雰囲気を暗くしている(&そしてその言辞で口に糊している)大人たちこそ、「『余計なおせっかい』を通り越して、世に害悪をまき散らしている存在」として糾弾されるべき対象なのではないかと思った次第です。 。。。ということで、見聞2から思ったのは、「『したたかな万能感をもった頼もしい若者たち』がいるのだから、余計な心配は無用!」ということです。
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