前のエントリーで書いた、「ディシジョンマインド」に込めた”It’s up to me/us!”精神は、私が10年間アメリカで仕事をし生活をする中から感じ取ったものです。
「仕事関連」のカテゴリーのエントリーとしては少し長くなりますが、お付き合いください。アメリカには2度にわたって計11年間住みましたが、ともにカリ フォルニアのシリコンバレー、スタンフォード大学の周辺でした。一度目はスタンフォード大学に留学した1983年から84年にかけて、二度目はストラテ ジック・ディシジョンズ・グループ(SDG)で働いた1990年から2000年にかけてです。一度目はオンキャンパスの学生アパートに住んでの学生生活で したが、二度目は仕事だったので、様々な、より「強い・濃い」体験をすることになりました。
これが、アメリカにおける自由意思と自己責任、そしてそれを持つ人間同士での関係構築、という考え方・精神についての、切実な実体験と しての最初の出会いだったと思います。そしてその後、何かにつけ会話の中で”It’s up to you!”と言われる中で、“at-will”精神が根付いている社会だということを感じました。たとえば、SDGに入社する際、契約の取り交わしに続い て様々な手続きがあったのですが、その中に、401kの契約があります。日本でも最近増えている確定拠出型年金のことですが、当時は日本にはこういうもの はなく、アメリカではじめて聞いたのですが、まず401kの仕組みや、そこで自分が投資できる色々なタイプのファンドの説明があり、最後に、どれにどれく らいの金額を毎月積み立てていくかにつき、本人の意向をフォーマットに書き込むことになります。
私ははじめてのことなので面食らってしまい、「自分くらいの年齢と家族構成で、会社の中のこれくらいのポジションだと、ほかの人たちは ふつうどんな風にしてるの?」という質問を担当者にしました。私としては、リスクのとり方etcにより、松・竹・梅的な典型的なセットメニューがあり、そ こから選べるのではないか、という、今思えば大変日本人的な発想をしたのですが、担当者からは不思議そうな顔をされ、「なぜそんなことを聞くの?今、あな たが決めるための必要情報はすべて説明したでしょ。これを決めるのはすべて”It’s up to you!”」と返されたわけです。
その後、同僚に昼食に誘われた時も、まだ周辺情報にうとい私に、その日の私のだいたいの好みを聞いてくれた上で、近くの数件のレストラ ンの情報を教えてくれ、最後に”It’s up to you!”と来るわけです。ことほどさように、いろいろな場面で”It’s up to you!”のオンパレードです。一種のカルチャーショックで、毎度毎度自分で決めることを迫られる状況を、最初はわずらわしくさえ感じました。
しかしまもなく、考えてみれば確かにその通りなのだ、という思いを持つようになりました。彼らに言わせると、”It’s up to you!”というのは、相手の自発意思と能力を尊重(Respect)した言い方なのです。これを聞きつつ思ったのは、日本人的な自分は、この”It’s up to you!”に精神的に耐えられるだけの訓練を、それまであまり受けてきていなかったな、ということです。SDGは社会人になってから三度目の職場であり、 当時としては既に典型的な日本人とはいえないカテゴリーに入る自分でありながら、精神的には、”It’s up to you!”に耐えられる精神的強靭さにはまだまだ欠ける、という気づきでした。それ以来、できるだけ”It’s up to you!”と来たら、”It’s up to me!” と前向きにポジティブにとらえることを心がけるようにしたのです。
そしてその後、コンサルティングを通じて日本のビジネスマンと接するたびに、自分自身と同じく、その人たちの多くに”It’s up to me!”精神が弱いことを痛感したのです。その時同時に思い浮かんだのは、「こんな私に誰がした」という精神構造でした。なにか物事がうまくいかない時、 過去を振り返り「こんな私に誰がした」と、誰か他人—上司、会社、社会、先生、親・・・—のせいにする、一種甘ったれた後ろ向きの姿勢です。
もちろん世の中には理不尽なことはたくさんありますから、時には、「こんな私に誰がした」と思わなければやってられない、そうやってな んとか自分の心の平衡を保つしかない、という場面があるのも事実です。しかし、いつまでも「こんな私に誰がした」とばかりやっていたのでは、一歩も前には 進めませんし、状況の打開もできません。酒を飲むなり、好きな趣味やスポーツに興じるなり、自分の気持ちに折り合いをつける何らかの工夫をして、できるだ け”It’s up to me!”、仲間と一緒に取り組むなら”It’s up to us!”、という未来志向の前向き精神に転換したいものです。
アメリカにおける”It’s up to me!”と、日本での「こんな私に誰がした」の精神構造の背景には、小学校教育からの、先生と生徒との関係のあり方も影響しているかもしれません。一般的 に、日本では、先生の言うとおりにしていれば良い結果になる、という思い込みがあり、従って、言われるとおりにしていて結果が悪くなったのは、先生のせ い、という発想があるように思います。私の娘は、小学校2年生から大学卒業までアメリカで14年間教育を受けたのですが、娘を通じて見聞きするアメリカの 小学校での先生と生徒との関係は、日本とは随分違うようでした。例えば宿題でも、先生は生徒にあまり細かいことまでは指示せず、そこから先は生徒各自が自 分の解釈で宿題をやっていく、ということであり、先生の方も、この解釈は間違い、などと言うことなく、各生徒の自主性を重んじているようでした。そういう 場面で、もし生徒が「この宿題はこう解釈するのですか?それともこうですか?」などときいたら、たぶん”It’s up to you!”とやられるのでしょう。
とはいうものの、一度自分が受けてしまった教育を消し去ることはできませんから、「『こんな私に誰がした』という精神構造になってし まったのは、日本の教育と社会のせいだ」と考えていては、いつまでたっても「こんな私に誰がした」精神からの脱却はできません。ここから先、人生をどう生 きていくか、困難な課題にどう立ち向かっていくか、そして「これからの嬉しさ・楽しさ・充実感の総額」をどうやって最大化していくかは、すべて”It’s up to me!”だ!」と、前向きに思うよりほかにないのです。私はディシジョンマインド社での活動を通じて、戦略課題に立ち向かう具体的思考体系・方法論を伝え るとともに、その底流に必要となる”It’s up to me/us!”精神を、多くの方々に伝え、感じ取って頂きたいと願っています。