「マーケットシェア〇〇%とる」の意味は?(I)。。。不確実性への取り組み方 |
先に、【戦略構想倒れにならない】ための方策として「戦略構想の具体化作業」と「定量的リスクリターン分析」の重要性・有効性について、4回にわたってブログエントリーを書きました。(公開日:2009年7月20日、26日、27日、30日) その際、「定量的リスクリターン分析」の進め方の中で不確実性について触れ、次のような趣旨の議論をしました。
–ほとんどの不確実要因について、「結論ありき」をサポートするように「テキトー」に、つまり結論から逆算するような形で、数値が設定されるケースが多い
–様々な要因について社内にある多くの知識・知恵が、不確実性の読み、つまり「正直ベースのインテリジェントな主観的確率」に反映されず、また「正直ベースのインテリジェントな主観的確率」のために真正面から真剣に調べアセスメントする態度もスキルも養成されていないことが多い
今回はこの「主観的確率」にまつわる話をしてみたいと思います。これも少し長くなりそうなので、(I),(II)というように書き継いで行きたいと思います。
まず「主観的確率」の読みに関連して、あるクライアント企業のディシジョンラボの現場で起こったことを紹介してみたいと思います。
一連のディシジョンラボの流れの中の最終ワークショップ(=最終発表会直前の合宿形式のワークショップ)では、最終提案のドラフトを各チームから発表してもらい、それに対して私や他のチームから、提案内容のブラッシュアップのための助言やコメントをし、それを活用して提案内容の最終練り上げをしていくのですが、その時、次のようなやり取りがありました。
私:「今のプレゼンで、『今回の新戦略により、今現在5%のマーケットシェアが3年で15%になり、結果としてこの戦略の効果は、キャッシュフローのNPVにして¥□□億円になります』とありましたが、15%という読みは、どのような根拠、ないしロジックにもとづくものですか?」
チーム:「今回の新戦略の実施には、先ほど説明したような、かなりの先行投資が必要です。そしてこれだけの先行投資が見合うためには、マーケットシェアは15%はとらなくてはなりませんので。。。」
このやりとり、どう思われますか? 先に指摘した、典型的「逆算のロジック」になっていますよね。
私としては、ディシジョンラボの冒頭セッションで、ディシジョンマネジメントの考え方、その中の不確実性への取り組み方を、講義と演習を通じて受講生に伝えてあったのに、こういう発言・発想が出るのは、ディシジョンアドバイザーとしては、大変残念なことではあるのですが、それだけ、チームの人たちに刷り込まれた「不適切な不確実性への取り組み・とらえ方」の根が深いということだと思います。
実課題への取り組みを通じて、受講生に、こうした根の深い問題に気付いてもらい、それを修正していってもらうのが、ディシジョンラボの目的の一つなので、この場面では、「受講生にとって絶好の学習機会が出現した」とポジティブにとらえ、まず、あらためて数値の読み方とその使い方について、突っ込んだ詳しい説明をしました。その上で、不確実性をよりまっとうにとらえて「正直ベースの主観的確率の読み」をおこなってもらい、それにもとづいて最終提案の内容を修正、ブラッシュアップしてもらいました。
このブログエントリーのここからの文章では、この時の「マーケットシェア○○%とる」に関する私の説明をもとに、不確実性への取り組み方や数値の読みとその使い方についての考え方を、ブログの読者の方々に紹介して理解を深めて頂こうと思います。
○まず始めに認識すべきは、定量的リスクリターン分析のもととなる各不確実要因の読みは、「正直ベースの主観的確率」であって、決して、逆算で割り出した「あるべき(こうならないと困る)」数字や、願望・希望的観測からの「ありたい」数字であってはならない、ということです。
○つまり「べき・たい」数字と「主観的確率」の峻別が大事だということなのですが、ではその「主観的確率」の読みをいったいどうやって行うか、ということになります。その説明の前に、実は「べき・たい」数字には、それなりの役割があるので、まずそれについての説明からはじめましょう。
○戦略立案のプロセスの中で、「べき・たい」数字が活躍するのは、最初のステップの「ビジネスアナリシスと戦略構想作り」のフェーズです。
○まず、会社全体の成長目標や自社の強み・市場機会を勘案し、それらから、「これくらいのマーケットシェアや利益率はとりたい、とれるはずだ、とれないと困る」といった、戦略構想を考える際の「達成・到達レベル感を」示す、大まかな「目標願望数値」を置いてみます。つまり「とてもチャレンジングだが、工夫次第では、もしかするとなんとか達成できるかもしれない」と思えるレベルの数字です。これがいわゆる「べき・たい」数字なわけです。
○そして次に、この「べき・たい数字」を念頭に、市場・顧客、競合、自社の強み・弱みなどに関する、より突っ込んだ包括的なビジネスアナリシスを行い、その中から、「こうやったら、もっとずっと儲かるようになるんじゃないか、ドラスティックな事業拡大が可能になるんじゃないか」といった、骨太な「わくわくドキドキする」戦略構想を練り上げていきます。
○このとき「達成・到達レベル感を」示す「べき・たい」的な目標数値が、あらかじめ念頭にあることが有効なのは、その値如何で、戦略構想の大きさ・抜本度合いが大きく違ってくるからです。例えば、マーケット全体の5~10%のシェアを目指す戦略構想を考えるのと、30~60%のシェアを目指す戦略構想を考えるのとでは、その中身や取り組みのアプローチに随分大きな違いが出てくることになります。
○その意味で、「べき・たい」数字には、一定の有効性・重要性があるのです。しかしながら、逆に言えば、「べき・たい」数字は、「ビジネスアナリシスと戦略構想作り」のフェーズのみで使うべきであり、その後の戦略立案作業には登場すべきでない、ということです。
○「ビジネスアナリシスと戦略構想作り」から出てくる「骨太な戦略構想」は、「わくわくドキドキ」するようなインパクトのあるものであってほしいのですが、そうは言っても、すぐさま実行に移せるほどの具体性には乏しい、またリスクのことを考えるとそのまま実行して良いか不安である、というレベルのものです。
○そこで、この後、課題や戦略構想のとらえ方に関する「フレーミング」、経営資源配分可能なまでの具体性をもった「複数の戦略代替案づくり」を経て、収益性に関する「定量的リスクリターン分析」に進む必要があります。不確実性に関する「主観的確率」が登場するのは、この「定量的リスクリターン分析」のフェーズであり、ここでは、「べき・たい」数字ではなく、たとえば「こういう戦略、施策を打ったら、いったいどれくらいのマーケットシェアが獲得できるだろう」という正直ベースでの数値の読みをすることになります。
○ではいよいよ、いったいいかにして「正直ベースの主観的確率の数値」を読むのか?。。。決して簡単なことではありませんが、以下の、中立的立場の人間が専門家に対してインタビューを行う場面を想定した説明を参考にして頂ければと思います。(前に少し触れた、「ディシジョンマネジメント-定量的リスクリターン分析」という研修資料の中からの抜粋です。)
********************************************** ピーク(マーケット)シェアや市場規模、またその他諸々の連続変数的な不確実要因については、High-Base-Lowの3つの代表値によるアセスメントを、各要因に関する専門家へのインタビューを通じて行なう。
たとえばピーク(マーケット)シェアについていえば、専門家には、まずは市場において現行技術による競合企業が何社程度あり、それぞれ技術面、市場面でどのような特色・ポジションを持っているかを把握した上で、その中に自社の新技術がどの程度浸透しシェアを奪えるかを考えてもらう。
その際、自社技術による製品が他社製品に比べて、どこがどれだけどのようにすぐれているか(Competitive Advantage)、それが顧客への具体的な価値訴求ポイント(Value Proposition)として顧客にどう受けとめられるかを明確にする。
そして、新技術による製品が既存技術の製品から成る現行市場に投入された時のシェアの奪い取りについて、過去のいくつかの事例を想起・レビューすることから、何が原因で高いピークシェアが獲得され、逆にどのような状況では低いピークシェアしか達成できなかったかの要因を浮び上がらせる。またピークシェアの数値自体が、競合企業の数やその他の状況により、どの程度の幅をもちうるかについてのおよその感覚をつかむ。
それらをふまえた上で、今回の技術・市場の状況に照らして、最高どれくらいの値になりうるか(High=ピークシェアの値がこれ以上になるのは10に1つしかない、と思われるほど大きい値)、という値を「正直ベースの主観的確率の読み」としてアセスメントし、同時にその理由、推定のロジックや「よすが」となるものを記していく。
次に最低値(Low=ピークシェアの値が、これ以下になるのは10に1つくらいしかない、と思われる程の小さい値)のアセスメントをして、最後にBaseケースの値(=ピークシェアの値がこれ以上になるか、これ以下になるか、50%/50%であると思われる値)を、同様に「正直ベースの主観的確率の読み」で読んでもらい、その論拠を記しておく。
こうして得られたHigh-Base-Lowの値は、過去のデータや現在のファクトをきちんと集め、分析し、知識体系化した、真に「専門家」の名に値する人達の読み(=主観的確率)を示す。
以上概略イメージを説明したように、これらの値は、それを読んだ専門家に、その理由を他の人が「なぜか?なぜか?」と問い詰めていけば、最後は「それ以上の論拠は答えようがないが、私としてはおよそそのように思える」となる性質のものである。
しかし、まじめかつ真剣な専門家のアセスメントであれば、意思決定者や関係者がここまでの説明を聞いた時に、「この人(達)がそう考えたなら、まずまず信用してそれを使ってよいのではないか」との信頼感を抱かせるものなのである。 ********************************************
以上の「主観的確率」の内容・実態をふまえ、私は主観的確率の本質は「インテリジェントえいや~」であると考えています。つまり、様々な過去や現在に関する情報をきちんと集め・分析し、さらにそこに専門家としての知識体系に照らした洞察・直感を働かせた読みであり、最後は「う~ん、こんなもんじゃないかな」という「えいや~」であり、しかもそれが情報と洞察という意味で極めて知的レベルの高い(=インテリジェントな)ものだからです。
ブログエントリ-としてはだいぶ長くなってきたので、ここから先は(II)で書き継いで行くことにします。 |
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