少し前の以下の二つの雑誌、新聞記事を見て発想したことです: ①前グラミン銀行総裁ムハマド・ユヌス氏の言葉: 「・・・ソーシャルビジネスの7原則・・・投資家は投資額を回収するが、それ以上の配当は受け取らない・・・投資額以上の利益は、ソーシャルビジネスの普及に使う・・・従業員はまっとうな労働条件で給料を得る・・・楽しみながら(取り組む)・・・・・全ての人間は利己的であり、同時に利己的でない。この利己的ではない部分が現在、無視されて取り残されているのです。私は『無私(selflessness)』と呼んでいます。自身が受け取る利益を追求する以外の目的、すなわち『誰かを助けたい』『社会を良くしたい』という無私の気持ちだけでもビジネスは成立するのではないでしょうか。・・・・・自社で取り組むのが難しいならばソーシャルビジネスのファンドに投資するという手もあります。従来の銀行やエンジェル投資家は利益を得られないこうしたファンドに投資してくれません。でも、社会問題を解決するためのアイデアと行動力を持っているが、資金を持っていない、そんな若者を勇気づけることには意味があるはずです・・・」 ②建築家・東京大学教授 隈研吾氏の言葉: 「個人主義優先の近代に幕・・・きづな、つなぎ直しを・・・そのつなぎ合う作業から、地場産業の復興が見えてくるかもしれない。場所に根の生えた新しい産業、新しいワークスタイルが生まれてくるかもしれない・・」 人間の貪欲さを大いに肯定し&確立した個人をベースとしたところに、近代資本主義の発展があると言われます。しかし最近の金融市場の混乱、為替変動などを見ていると、なんなのこれ!? という思いを禁じえません。金融・市場・ファンドの活動に大きな役割があるのは否定しませんが、あまりにもその影響力や副作用が大きすぎて、その他の大半の産業の地道な活動や日々の暮らしの営みが「まっとうにやってられない!」という感じです。 極論的に論理が飛躍しますが。。。この際、行きすぎた「貪欲資本主義と個人主義偏重」への決別、というか「それにとらわれすぎない!」という意味での【解放】が必要なのではないでしょうか。 「志を一にする仲間とのきずなを大切にする人たち」の集合体として組織やビジネスが存在し、商品やサービスの提供を通じて顧客の満足/幸せ度を高めることに喜びを感じ、自分たちとそれをサポートする人達(出資者や取引先など)がまっとうに楽しく暮らせるだけの待遇やリターンを得られることで良しとし、それ以上の金銭的見返りを特段望まない、という経済・ビジネス活動がもっと増えた方がよいのではないかと思います。 もちろんこれは、それぞれの個人や企業・組織のチョイスの問題で、「貪欲資本主義と個人主義偏重」が良い、という人達を全否定するものではありません。ただ、「貪欲資本主義と個人主義偏重」一辺倒ではなく、もっと多様性をもった資本主義や経済社会があっても良いのではないか、という思いです。 。。。今回のブログは論理飛躍の「思い」になってしまいましたが、読者の方々の感想など頂けると幸いです。
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