少し前ですが、「選択の科学」という本を読みました。NHK教育テレビの「コロンビア白熱教室」という番組に出ていたコロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授の著書です。 選択に関する色々な研究や考察が紹介されていて興味深く読みました。私のように、「で、これからどうするか!?」という立場で書かれたものでは—予想通り—なかったのですが、いろいろと「なるほどなあ」というのがあって、ディシジョンマネジメント的な観点からも参考になりました。 その中の一つである「value(相対的価値)とworth(絶対的価値)の違い」について、皆さんに—まだ読んでない方もおられると思うので—紹介してみます。 まず、命にかかわる脳疾患を負った、生まれたばかりの我が子の延命治療をするか否かの選択を迫られた夫婦のケースが紹介されます。。。つまり、この夫妻にとっての選択肢は次の二つということです。 ①我が子が普通の生活を送れるようになる可能性はほぼゼロの中、人工呼吸器と栄養管の生命維持装置で延命治療を続けるよう、医師に依頼する ②延命治療の中止を医師に申し出る 非常につらい選択なわけですが、以下、このケース紹介の後の文章の抜粋です。 ****************************************** ・・・・・どの道を選んでも自分の幸せを必ず損なうような選択肢が存在することを、わたしたちは経験的、本能的に知っている。これがあてはまるのは、選択が避けられない上に、その選択肢も望ましくないという状況、特に自分の大事にしているものを、「絶対的価値」(worth)でなく「相対的価値」(value)という観点から考えることを強いられるような状況だ・・・・・ ・・・・・この区別は、神話学者で詩人のルイス・ハイドが著書「ギフト-エロスの交易」の中で論じた・・・・・ ・・・・・「絶対的価値」(worth)とは、自分が大切にしていて、値段がつけられないものに、もともと備わっているものだ。これに対して「相対的価値」(value)とは、あるものをほかのものと比較することによって導き出すものだ・・・・・ ・・・・・市場価値があるものは、はかりに載せて比べるために、自分から切り離す、または手放すことができなくてはならない・・・・・ ・・・・・状況によっては、値踏みを求められること自体、不適切、いや無礼にさえ感じられる・・・・・たとえば・・・・・家族という文脈の中で・・・・・家族と距離を置き、それをあたかも商品であるかのように値踏みすることなど、とても考えられない・・・・・われわれが感情的結びつきを持っているものに、比較可能な値打ちを割り当てたくないからにほかならない・・・・・ ・・・・・アルツハイマー病患者・・・・・今後さらに増え・・・・・このような中、わたしたちはいつか親や愛する者たち、ひいては自分自身について、突き詰めれば「絶対的価値」と「相対的価値」の計算に行き着くような、難しい選択を迫られるだろう・・・・・ ****************************************** 。。。うーん、深く深刻で哲学的な思索と判断を求められることですよね。このようなことについて、「どうするか」についてのスパッとした答えはないわけですし、著者もそういう方向での議論には持って行っていないように読み取れました。。。ある種「永遠の課題」なわけです。 さはさりながら、実践的意思決定サポートの実務家の私としては、この「永遠の課題」への取り組みに対して、次のように考えてみました。 ①そもそも、できるだけ「worthの値踏み」が絡んでくるような課題には直面しないよう、事前にそれを回避する手立てを、可能な限り講ずる。 ②(①が不可能な場合⇒)worth的測定尺度とvalue的測定尺度(双方とも複数可)に照らして、複数の具体的選択肢を測定し、結果を一覧表(Valueトレードオフ表)の形に整理する。。。一覧表の中で、どの測定尺度においても他の選択肢より優れたところがない選択肢は、その時点で落とす。残った選択肢の中で、すべての測定尺度において他の選択肢と同等ないし優れているものがあれば、その選択肢を文句なしに選ぶ⇒めでたしめでたし! ③(②で決着がつかない場合⇒)worth的測定尺度とvalue的測定尺度を総合的に見た場合の、トレードオフ判断を行う。すなわち、自らの哲学的価値観に照らしたトータルの「Net Pleasure Value(差引き嬉しさ総額)」を「うーん」と考え、感情も含めた「エイヤ!」で決める。。。少し前のブログに書いた「Passionateエイヤ!」ですね。 企業の戦略的意思決定の文脈からは、次のような考察も可能かと思います。 ①リストラについて: 企業が顧客に価値を提供し競合に勝ち続けていくには、企業内の人たちが”It’s up to us!”の強い同志・仲間意識を持つことが大事ですし有効です。 そこには一種、疑似家族的な精神的紐帯が必然的に生じてくるわけで、だからこそ、いわゆるリストラは、仲間意識・家族意識というworthの値踏みをあからさまに強要することで、人心を荒廃させ、(たとえ短期的なコスト削減効果で業績が回復するにしても)中長期的には企業の競争力に極めて大きな負の影響を及ぼすことになります。 「リストラはできるだけ避ける。どううしてもそうしないと会社がつぶれるという場合にかぎり、やるとしても、絶対に一度だけにすべき」と、倒産の淵から会社をよみがえらせた経営者たちが言うのも、うなづけるわけです。 ②マーケティングにつぃて: (こちらはあまり哲学的な話ではありませんが。。。)マーケティングの文脈でいうと、自社の提供する製品やサービスに、顧客がvalueにとどまらずworthを感じてもらえるようなブランド戦略を推進することが有効です。 顧客がサービスや製品に「感情的な結びつきを持っているものに、比較可能な値打ちを割り当てたくない」とまで感じてくれれば、価格勝負の競争には巻き込まれにくくなるわけです。マーケティングの専門家達のいう「ブランド価値」とか「モノよりコト」とか「ストーリー性」とかいったことですね。 最後は非哲学的な話になってしまいましたが、worthとvalueというとらえ方、いろいろと考えさせられますね。
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