少し前の新聞のコラムで次の趣旨の記事を見ました。曰く: *************************************** ・・・バブル景気がはじけ日本(の自動車)メーカーがレースから遠ざかっていた1990年代の後半、ジュネーブ国際自動車ショーで独BMWの幹部にこう尋ねたことがある。 「日本メーカーがレースから撤退するのは資金面の問題もあるが、これからはスピードや馬力ではなく環境性能を競う時代になる、という読みもある。欧州メーカーはなぜレースを続けるのか」 彼は怪訝な顔をしてこう言った。「我々が作っているのはスコップではなくバイオリンだ。バイオリンはコンサートで演奏するためにある。コンサートをやらないというなら、君たちが作るのはスコップだね」 自動車は道具ではなく文化であり、文化発揚の場がレース。「レースなくして自動車なし」というのが彼の主張だった。メルセデスやBMW、フェラーリ、ポルシェがまとう文化の香りは世界の富裕層を魅了する。 ・・・・・時計にもアパレルにも同じことが言える。値引きしなくても(むしろ、値引きしないほうが)売れる「スーパーブランド」が日本製にはほとんど存在しない。「安くて良いもの」に対する信奉が作り手の頭から抜けないのだ。 ・・・・・アップルの創業者、スティーブ・ジョブズ氏は・・・・・「文化の人」でもあった・・・・・生み出された製品には利便性を超える価値があった・・・・・ *************************************** なるほどね、ですね。たとえば価格下落で苦しむ現在の日本の家電業界の惨状を見ると、「遊び心をもって、世界の富裕層を魅了する、文化の香りをもつブランドを育成」は確かに一つの方向性だし、十分ありうると思います。 しかし一般論として考えると、人でも企業でも、今の自分のありようというか「好き」と「得意」からあまりにかけ離れた自分をいきなり目指すのは、(ちょっと古くなりますが)北京オリンピックでの北島康介選手の金メダル獲得を見て感動し、「自分も次のオリンピックで金メダルを目指す」と40代のメタボ親父が志すようなもので、志としては美しい(?)かもしれませんが、実際にやったら「残念!」ということになりかねません。 従って、スコップでなくバイオリンを目指す、といっても、自分の今の「好き」と「得意」からの距離感からの現実性を見極めたうえで、具体的な方向性や(もしやるなら)実現方法を考える必要があります。 そして結果的に「いいんだ、自分はバイオリンは目指さない。自分は、使う人にとっての使い勝手の良い、使う人が使うことに労働と貢献の喜びを感じてくれるようなスコップ作りが好きだし得意なんだから、その人たちにもっと喜んでもらえるスコップづくりに、さらに邁進しよう」となったら、それはそれで良いのではないかとも思うわけです。 ということを考えていたら、別の雑誌記事で、産業廃棄物のリサイクル事業の「アミタ」という会社の熊野社長に関する次の文章が目に入りました。: *************************************** 熊野はこれからの企業は2タイプに分かれるという。 グローバル市場を相手に徹底的にコストと効率性を追求する企業と、「人やモノの関係性」で勝負する企業だ。アミタが目指すのは後者。 株主は企業の思いに共感して出資する。共通の価値創造を目指して、社員は一丸となって事業に取り組む。その結果生まれた商品やサービスに共感した消費者が購入する。資本主義に代わる共感主義の時代を引き寄せようとしている。 *************************************** 少し前のブログに書いた「顧客やステークホルダーとのLove」とか「Soul-mate marketing」と通底する考えですが、大きくとらえるとこれも「好きと得意と喜ばれる」の徹底追及の一つの形—「スコップ vs バイオリン」とはまた別の切り口においてですが—だと思います。 またつい先日アップした「人間ならではの価値づくり」とも通底している—–内なる好奇心や使命感に基づいて活動できることこそが人間にしかできない、コンピューターには代替されないものだから—–とも感じました。 蛇足ですが、もう一度今回のブログの主旨をまとめると、 【文化であれ、使い勝手であれ、共感であれ、自分の「好き」と「得意」と「喜ばれる」を明確にし、それに集中し、かつ発信していくことが大事】 ということです。
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