前回のブログに続いて、「好きと得意と喜ばれる」について考えてみます。 前回、個人的には「好き-driven」な発想軸が一番しっくりくる、と言いました。 この「好き」へのこだわりの観点から、数年前にある方から—剣道関係に造詣の深い方でしたが—剣道と柔道のグローバル化戦略の違いをお聞きしたことを思い出しました。 その方のおっしゃるには、柔道は短期間での世界普及を目指し、またオリンピック種目になることを目指してルールなども柔軟に変え、最終的には今や「柔道」ではなく「JUDO」になっており、日本の柔道がもともと持っていた考え方や美意識が希薄になってきた。 一方剣道は、そうした急激な世界普及もオリンピック種目になることも目指さず、剣道本来の考え方や美意識を保持しつつ、その考え方・美意識を世界に発信し、「海外の人で剣道をするのは、それに賛同した人達だけで良いんだ」、勿論その数が、できれば大勢になってくれるにこしたことはないが、決して普及そのものは目的としない、という方針でやってきた、ということでした。 同じく明治以降に、「柔術⇒柔道」、「剣術⇒剣道」という形で近代化したスポーツ同士でありながら、世界普及に関して大きく異なる戦略をとってきた、ということです。どちらが正しいということはなく、これはまさに自分たちの「好きと得意と喜ばれる」における「今後のNet Pleasure Value(差引き 嬉しさ総額)最大化」の中でのチョイス、ということです。 一つ言えるのは、最近の日本企業のグローバル競争の中での盛衰をみていて感じるのは、今後は、どちらかというと「喜ばれる=急速かつ大規模な世界普及」drivenの「柔道型グローバリゼーション」よりも、「好き」drivenでそれを喜んでくれる顧客を徐々に増やして行き、むやみな売り上げ急拡大は目的とはしない、という「剣道型グローバリゼーション」の方が、分(ぶ)が良いのではないか、ということです。 「喜ばれる—とりわけ量優先で」drivenで売り上げ増大を目指すと、どうしてもコモディティ化によるコスト競争に巻き込まれがちなのに対して、自分たちの「好き」drivenでそれを喜んでくれる顧客を選び&徐々に拡大するためのコミュニケーションを行っていった方が、ブランド確立と値崩れ防止には有利なのではないかと思うからです。 とくに最近の海外での日本食ブームやアニメの広がりの話などを聞くと、日本文化のフレーバーを纏いつつ、「好き-driven」の剣道型グローバリゼーションをとることは、様々な産業の日本企業にとって有効なのではないかと思うわけです。 もちろん最終的には、どの企業・事業・組織にもあてはまる一般解はないので、それぞれ自分や状況に合った、「好き-driven」 or「得意-driven」 or「喜ばれる-driven」 で発想して行けばよいのだと思います。いずれにしても事業として成り立たせるには、この「好き」「得意」「喜ばれる」が3拍子揃った具体的戦略提言にまで持って行き、かつ強いコミットメントを持って実行をやり遂げることが求められるのですから。
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