今週は大半のクライアント企業は夏季休暇中、ないし夏季休暇モードなので、比較的のんびりとした時間を過ごしています。。。暑さも極まれりなので、特段どこにも出かけず、たまった宿題的な仕事に取り組みつつ、ジムで汗を流したり、社交ダンスのレッスンに行ったり、普段なかなか会えない友人と食事をしたり、“カフェツアー”で本を読んだり。。。といった感じです。 さて今回のブログ記事では、先日の日経ビジネスに載っていた「リスクゼロが招く悲劇」という記事を読んで感じたことを書いてみます。以下に、読者の皆さんが、だいたいの記事の内容を推測できるよう、抜粋を記してみます。 **************************************** 「リスクゼロが招く悲劇」 子宮頸ガンの予防ワクチンが6月、副作用が問題視されて国の積極勧奨からはずされた。 世界中で有効性が認められ、日本でも4月に定期接種に格上げされたばかりだった。 ワクチン騒動はいつも堂々巡りで、日本はワクチン後進国から抜け出せずにいる。 Phase1 感染の拡大 子宮頸ガンは女性の子宮の入り口部分(子宮頚部)にできるガンで、女性の100人に1人が生涯のいずれかの時点でかかる恐ろしい病気だ。毎年1万5000人近くが新たに子宮頸ガンと診断され、1年に約3500人が死亡する。特に20~30代の女性がかかるガンとして最も数が多く、「マザーキラー」という異名がついた。 ・・・ヒトパピローマウイルス・・・感染を予防するワクチンが開発され、米国と欧州では2006年に認可された。ワクチンを投与すると、ウイルスに感染してもガン化する過程の異常を9割以上も抑制できることが確認されている。 ・・・海外で認可されている医薬品が日本国内で使えるようになるまで時間がかかる「ドラッグラグ」・・・ワクチンはその傾向が強かった・・・1980年代からワクチンの副作用を巡る問題が頻発し、厚生省(現厚労省)やメーカーがワクチンに対して及び腰になってしまった・・・ワクチンの認可が遅れた日本は、子宮頸ガンの感染者が増え続ける唯一の先進国となった。 Phase2 接種の強化 こうなると世間が黙っていない。世界有数の先進国である日本で、なぜ有用なワクチンが使えないのか。医師や患者団体などはワクチンの早期承認を厚労省に陳情した。 ・・・国と自治体が、希望者に対して費用を助成する制度を2010年から始めた。今年4月からは無償で受けられる「定期接種」に追加された。・・・ Phase3 相次ぐ副作用 ワクチンも医薬品であるため、一定の頻度で副作用(医学的には「副反応」と呼ぶ)が生じるのは避けられない。つまり分母である接種人数が大きくなれば、分子にあたる副作用の症例数も大きくなる。確率で考えれば当然の帰結であるが、自分や自分の家族が副作用に苦しむことになれば誰も看過することはできない。 ・・・子宮頸ガンでも、接種する人が増えると副作用に苦しむ人が増えていった・・・ Phase4 接種率の低下 ここで再度マスメディアが登場する。被害者が苦しむ実態を伝えるため、テレビ各局は被害者が痛みで苦しむショッキングな映像を流した。弱者の声に耳を傾けるのは報道機関の役割であることに疑いの余地はない。しかし、子宮頸ガンによって毎年3000人以上が亡くなっている実態についても報じなければ、バランスの取れた報道とは言えないだろう。 6月に入ると・・・こうして子宮頸ガンワクチンに対するネガティブキャンペーンは熱を帯びていった。そして冒頭に紹介したように、厚労省は子宮頸ガンワクチンの接種勧奨を取りやめるに至った。 ・・・風疹大流行の原因も同じ 別の感染症では、悲劇が既に現実となっている。昨年後半から患者数が急増している風疹だ・・・94年の予防接種法の改正だ。風疹を含めた定期接種が「義務」から「勧奨」に変わった。勧奨は努力義務とも呼ばれ、ワクチンを接種するかどうかは個人の判断にゆだねるということだ。80~90年代にかけてワクチンの副作用問題が世論の批判を呼び、責任を問われた国が裁判で次々と敗れたことが法律改正の背景にある。この法改正により、94年当時に中学3年生だった34歳より下の世代ではワクチン接種が義務でなくなった。結果として男女ともに接種率が低くなった・・・それが昨年から風疹が流行している原因であるのは間違いない。 ・・・社会全体で免疫力を高めよう。 厚労省の不作為を非難することはたやすいが、それは本質的な解決にはつながらない。・・・ ・・・今日本に求められているのは、科学的な根拠に基づいてぶれずにワクチンの接種率を高めていくことだ。副作用の発生が避けられない以上、国は補償制度をより充実させて国民に安心感を与えるべきだ。国民自身もゼロリスク願望を排して、リスクを受け入れる覚悟が問われる。さもなければ、感染症を根絶するという公共の利益は永遠に実現できない。 **************************************** まさにその通り! マスコミの言説としては、(珍しく?)たいへん真っ当かつ勇気あるものだと感じました。 「リスクゼロのベネフィット(便益)獲得」は最大の願いではありますが、現実は残念ながら大半においてそういうわけには行かない以上、「ベネフィットとの勘案の上でリスクを受け入れる覚悟」が必要、ということですよね。 私が常々言っている(&師匠であるStanford大学のハワード教授の言葉である) “Good Decision and Willingness to Risk a Bad Outcome” の精神です。 ただここで考えるべきは、「ベネフィットとの勘案の上でリスクを受け入れる覚悟」は、何もワクチン接種の問題には限らず、日本人や日本企業一般が自らの問題としてとらえなおす必要がある、という点です。 「財政規律確立に向けた消費税増税 vs 景気後退の懸念」、「TPPによる交易拡大と経済活性化 vs 国内産業への負の影響」、「(太陽光、風力、地熱、原子力、ガス、石炭、石油 etc の)エネルギー源構成ポートフォリオ vs コスト vs 安全性 vs 環境への影響」等々、「ベネフィットとの勘案の上でリスクを受け入れる覚悟」が問われる課題は枚挙にいとまがありません。しかし残念ながら、そこでは、リスクをあげつらうことに偏した言説の方が、多いように感じられます。 こうした課題への取り組みにおいて大事なことは、 ①まずは「リスクゼロでのベネフィット獲得」が可能な選択肢を全力で模索した上で、 ②そうした理想(≒空想)解が残念ながら存在しないことがわかったら、その理想解に近いけれどそのものではない、幾つかの実行可能解を設定し、 ③また選択基準となる複数の価値判断尺度をリストアップ&共有し、 ④複数の実行可能解のベネフィットとリスクを、複数の価値判断尺度に照らして、定量的and/or定性的に測定し、 ⑤最終的には関係者間で十分な意見交換を行って、複数の価値判断尺度間でのValue trade-off判断にもとづいて意思決定を行う、 ということだと思います。 まさにディシジョンマネジメントの考え方そのものに通じるのですが、こうしたアプローチを行うにも、まずは、「ベネフィットとの勘案の上でリスクを受け入れる覚悟」、言い換えれば”It’s up to me/us!”精神が問われるわけです。 間違っても、非現実的な「リスクゼロ」を覚悟なしに叫びつつ、一方でしっかりと(&こっそりと or 無自覚に)ベネフィットを享受しつつ、最終的には「こんな私に誰がした」と被害者モードで悲嘆にくれる/良識家を気取る、ということの無いように、即ち「リスクゼロが招く悲劇」に陥らないようにしたいものです。
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