2014年ゴールデンウィーク(GW)のブログ記事アップ、第2弾です。 前回のブログで「ポジションにあぐらをかいて『無用の存在』に堕さぬよう、そして『腕まくりの付加価値存在」であり続けるよう、常に自戒しましょう!」という主旨のことを書きました。 今回の記事ではさらに、「ポジションにあぐらをかき、上から目線が嵩じれば、自らを制する精神的高潔さが失われ、その延長には、会社や社会に害をなす存在になる」破滅的な状況が待っている、という注意喚起です。 最近、NHK大河ドラマの「軍師 官兵衛」に刺激され、ほぼ30年ぶりに、司馬遼太郎が書いた、黒田如水を主人公とする「播磨灘物語」を読み返しました。その中で、織田信長に仕えていた頃、そして天下取りを目指していた頃には、極めて強い自制心と克己心を持っていた秀吉が、天下を取って「太閤殿下」になった後は、そのタガが外れ、暴君と化してしまった様子が描かれていました。 たまにですが、企業トップの方々の部下に対する発言の中に、この「太閤殿下症候群」の一端を見ることがあります。 そんな時に、会議室の壁にかかってる創業者の写真や残した言葉を見ると、思わず、今ここに創業者が蘇ってきて、「おい、〇〇君よ(=太閤殿下症候群発言をしたトップ)、君もずいぶん偉くなったもんだね。今の君の発言に部下たちが何も言い返さないのは、君の発言内容に心服してるわけじゃなく、単に君のポジションパワーの前にひれ伏しているだけなんだよ。僕は少なくとも、そういう状況は作らなかったつもりなんだけど、いったい君は何様になったつもりなんだい?!」と一喝してくれないものかな、と妄想したりします。 ある会社の中興の祖と言われた名社長の執務室が、その会社の研修施設の一角に再現されているのを見せてもらったことがあるのですが、社長の執務机が二つ並べておいてありました。どういうことかという説明をしてもらったのですが、一つはその中興の祖の机、もうひとつが彼が薫陶を受けた創業者の机。 中興の祖が社長になったころ、当時すでに創業者は亡くなっていたのですが、その社長は常に「今、創業者がここにいたら、彼ならどう考えただろうか」と思いを致すことで、自分が独善的な判断をしないように、また独裁者としてふるまうことの無いよう、常に自戒していた、とのお話でした。 まさに私が妄想したようなことを、自らに課すことで、「太閤殿下症候群」に陥ることを防いでいたのではないかと思います。(このお話の細目には、私の記憶違いがあるかもしれませんので、その点についてはご容赦ください。) 加えて思うのは、大企業のトップの方と、その取り巻きというか部下の方々とのやり取りを近くで見聞きすると、まわりがトップを奉(たてまつ)りすぎるというか祀(まつ)り上げるというか、下にも置かぬ扱いをすることで、こうした状況が「太閤殿下症候群」製造装置になってしまっているのではないか、ということです。 不幸にして—普通の意味では、トップになったのですから、「幸いにして」なのですが—「太閤殿下症候群」製造装置が高度に出来上がっている企業のトップの方は、このことを常に認識し、自戒していくことを、そして「太閤殿下症候群」製造装置の破壊に取り掛かることを強くお勧めします。 それと同時に、「いま現在の自分は、とてもそういうポジションにないし、将来的にもその可能性はないよ!」と思っている方がいたら、「その安心感は危険ですよ!」と言いたいと思います。なぜなら、この「太閤殿下症候群」のミニ版、マイクロ版は、そこらじゅうに蔓延しているからです。 会社・組織の中で、ポジション的にはまだそれほど上の方でなくても、「(上司が突然その場に現れない限り)その場での自分のポジションがダントツにトップ」という状況は、結構起こりうるわけで、そういう場で「ポジションにあぐらをかいた太閤殿下」になってしまっている人は意外に多いのです。 「太閤殿下症候群に、くれぐれもご用心!」
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