ではいよいよ、私が「理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ」を、ビジネスへの意味合いの文脈から読んで感じたこと、抽出したポイントを、感想文として紹介していきたいと思います。 1.結論めいた感想は、生物進化からの比喩を企業の発展や生き残りに安易にあてはめて、わかったようなことを言うのは厳に慎んだほうがいい、ということ :それらは、厳密な生物進化の科学的論考とはかけ離れているのに加え、単に言葉のお守り・呪術・トートロジーに過ぎず、実体としては何も語っていないからです。 この本を読んで、これまで自分が常々感じてきた、『進化論風の訓話』的な言説への違和感の正体がわかった気がします。 2.ゲームのルールを大きく変えるような事業環境変化が起きることを、想定内として受容せざるを得ない、という現実を見据えた中で事業・企業運営に取り組むべき、ということ :理不尽だとか/自分の落ち度ではない、と嘆いたり自己弁護しても仕方がない、”It’s up to me/us!”でやるしかない、ということですね。 3.生き残った企業だから自分は大したもんだ/偉い!と勘違いしないこと :自分たちはたまたま運が良かった/ラッキーなだけだったという可能性は十分ある、逆に自分たちよりレベルの高い経営をしていながらも、たまたま運が悪くて消滅する企業もある、と認識する謙虚さを失ってはいけない、ということです。 また、外から企業を見る立場においては、いま成功しているという理由だけで、その企業や経営者のすべてが素晴らしい、と捉えない方が良い、ということにもなります。 4.当事者として、理不尽な激変も起こりうる事業環境に対処する際には、個別のディシジョンを都度都度その場その場で行っていくしかないし、それで良いのだ、ということ :トートロジカルな『適者生存の法則』的な、10年先の未来から振り返った時の後知恵など、その時点では存在しないからです。 5.『成功事例研究』的なものを、むやみに信奉したり礼賛すべきではないということ :いわゆる企業研究には、常に『スパンドレル症候群』や『生存バイアスによる錯覚』の危険性が付きまとっていることを、認識しておく必要があるからです。 6.『最初から長期にわたる素晴らしい構想や偉大な目的を持つべき』『偉大な経営者はそうであるべき』という幻想/囚われからは解放された方が良さそう、ということ :少なくとも大多数の凡人は、衆知と協働によって、エンジニアリング的に着実にステップを重ねて進んでいけば良い、その先にひょっとしたら最初には思いもつかなかったような素晴らしい状況に到達することもありうる、と考えて地道に取り組めば良いと思うのです。 7.(6.を別の言葉で言うと)経営も事業も、『美しい理想が最初にあって』という世界観でなく、『気まぐれな不完全さや、それぞれの状況でなんとか手に入った奇妙な部品による、一連の泥縄的適応から構築された仮建築』という世界観も『あり』ではないか、ということ :成功した企業経営者については、実態は後者なのに、あたかも前者であるかのごとく周囲がもてはやし誉めそやしがちなので、『成功物語にはご用心』です。 8.『ほかでもありえた』になる可能性に満ち満ちた状況では、不確実性を認識し、自らにとって手に入る/取り組み可能な選択肢の中から、自らの価値判断尺度に照らしてベストなものを選びとり意思決定していくしかないし、それでよいではないか、と思うこと :ここはまさにディシジョンマネジメントの世界観です! 9.生物と違って、企業においては『適者生存』の『適者=生き残りしもの』に最大の価値を置く必要はないのかもしれない、ということ :企業を設立する際に定めたミッション/ビジョンが、どうあがいても達成できない状況になった、あるいは意味がなくなってしまった、というように事業環境の変化が生じた際には、企業存続を放棄するのも、場合によっては『あり』かもしれない、ということです。 例えば、素晴らしい音質を実現するレコード針を世の中に提供する、というミッションで設立された会社が、CDプレーヤーという技術の出現により、そのミッションのままでは、世の中に必要のない存在になった、というような場合です。 この場合、当初のミッションのコアである『好き(=何がやりたいか)と得意(=何が強いか)と喜ばれる(=どんな顧客・関係者に喜んでもらいたいか)』の一部を生かしつつも、残りは捨て去り、新たな『好きと得意と喜ばれる』を加えて、新たな時代に即したミッション/ビジョンを再構築して生き残る、というのが世の中で典型的に推奨される『適者となって生き残る』ということです。 その一方、最初のミッション/ビジョンが立ち行かなくなった時点で、すっぱり企業の解散を宣言し、そして社員をはじめとする関係者が当面路頭に迷わないだけの手当や配慮を十分にしさえすれば、個々人は自分自身の『好きと得意と喜ばれる』に従って、新たに他の企業に参画したり、自ら起業すればいいじゃないか、という考え方も成り立つはずです。 その企業が退場した跡地が、新たな産業が発展するイノベーションにつながる可能性があるからですし、その時、企業を構成してきた個々の人間は、死滅せず生き残っていけるからです。 ☆超超蛇足ですが。。。ちなみに『生物と違って』と書きましたが、ひょっとしたら当の生物たちにとっても、たとえば、絶滅した恐竜たちは、新たな環境の中で、これまで劣後していると見下していた哺乳類がのさばる中で、そのかたすみで鳥類になってまで生き延びたくはない、堂々と潔く滅んでいこうじゃないか、と考えたかもしれません。 10.一方、『何が何でもやはり生き延びたい』と思うなら、理不尽な環境激変に備えて、『確率は低いが、もし起こったら企業存続に激甚な影響がある環境変化に備えるための施策』や『確率は低いが、もし成功したら、ものすごい価値を世の中と自社にもたらすかも知れないイノベーション』に、一定比率の経営資源をかけ続けることが必要だと考えられる、ということ :これを短期リターン重視の中でやることは非常に難しいので、長期的視点からの『良い意味での遊び・ゆとり』が必要だろう、ということになります。 11.しかし逆に、遊び・ゆとりが行き過ぎて、あらゆる『低確率の、ひょっとしたら』要因に対応しようとして、そちらに経営資源を振り向けすぎ、現在の環境のもとでの最適な施策に十分な経営資源を割かないことになってしまえば、これは短期的に確実に死滅することになる、ということも認識しておく必要がある、ということ :10.でも11.でも、死滅した企業に対して後講釈として『変化を恐れて逃げ回っていては淘汰される。自己を変える勇気が必要だ』とか『野放図に経営資源を費やすようなガバナンス(企業統治)では生き残れるはずがない』とか評論家として言うことは自由ですが、経営の当事者としては、こんな言説に付き合っている暇はないはずです。 以上、とくに整理せず思いついたままに読書感想文を書き連ねましたが、読者の皆さんにはどのように響いたでしょうか? 私自身の結論めいたことを言うと: ○進化論風の得々とした言説は、自分がしないのはもちろんですが、他の人のそうした言動に注意をそらされることなく、 ○企業やビジネスピープルは、事業環境変化を常に頭に入れつつ、着実に個別課題に取り組み的確な意思決定をしていけばよいのだと考え、 ○引き続きそういう企業や人達をエデュサルティングでお手伝いして行く、 という基本信念を貫いていこう、とあらためて確認した次第です。
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