この論説ブログシリーズの第3回では、主として、人のあり方・生き方や価値観のこれからの変化について語ってみたいと思います。 今回お話しする5つの「Not:⇒But:」のうち、最初の4つは、最近読んだ落合陽一氏の「日本再興戦略」の中から、私が共鳴した部分をpick upしたものです。 落合氏は最近ずいぶん脚光を浴びている方のようなので、一度彼の著書に目を通してみようかという軽い気持ちで読み始めました。 最初は、何かカッコつけた偉そう感のある人だなと思ったのですが、読み進めると、失礼ながら意外とまともで、また新鮮な視点があり、若干鼻持ちならない感は残るものの、私の考えと相通じるところもあると感じ、ここに彼の考えを引用する形で初めの4つの「Not:⇒But:」を挙げさせてもらうことにしました。 あくまでも私の解釈の入った「Not:⇒But:」なので、可能性としては、落合氏の本来の主張と異なっている部分があるかもしれませんので、その点はご容赦下さい。 【9】 Re:働き方のスタイル Not:Work-Life Balance But:Work as (an important part of) Life 「Not:」のWork-Life Balanceは、今盛んに世の中で言われていることで、働き方改革のベースとなる思想かと思います。 要は、仕事(Work)を生活(Life)と対立する別ものとして捉え、その上で、仕事偏重のライフスタイルを、生活とのバランスにもっと目配りしたものに変えていきましょう、ということかと思います。 一方、Work as Lifeは、仕事自体、自己実現の一環で、そこに自身の喜びも当然あるので、この2つ(=WorkとLife)を切り分けて捉えることが、そもそもナンセンス。 そして取り組むWorkも、一つに限定する必要はなく、自分の興味とスキル(好き×得意)に基づき、複数あるのがむしろ自然。 また、今現在の生活の糧の中心である、主Work以外のことにも、Lifeの一環として取り組み、時にはそちらが今度は生活のベースになるWorkに変わりうることも当然。 。。。という考え方です。そして、プライベート(バンド演奏が趣味/詩作が趣味/料理が趣味/ゴルフが趣味。。。親としての顔/夫・妻としての顔/子としての顔。。。etc.etc.)と複数の仕事がモザイクのように組み合わさるイメージです。 「But:」が、世の主流となってくれば、各企業においては、兼業は禁止対象では当然なくなり、個人は、生活の糧の中心となる仕事はもちろん、少なくとも今は大して生活の糧としては貢献していないpre-work/side-workにも、仕事&生活活動ポートフォリオの一環として取り組んでいる、という状況です。 落合氏ほどのマルチタレントかつエネルギーにあふれた人でないと、今ただちに「But:」主流で生きることは難しいと思いますが、10年~20年の間には、こうした「But:」主体の生き方の人が、次第に世の主流になっていくような気がしています。 【10】 Re:尊敬されるべき人 Not:金を稼ぐ(だけの)人 But:新たなモノ・コトを生み出して世の中を良くする人 「Not:」は、ある種、世の中の歪みや未発達の部分を利用することで、金は大いに稼ぐものの、本質的に、より良い世の中の実現に貢献しない人達で、そういう人達(落合氏の著書では、伝統的な金融業界の人々やMBA的知識だけで世の中を渡っている人材などが、その例として挙げられています)が尊敬される世の中はおかしい、中長期的にはこういった状況は正されるべきだし、遠からずそうなっていくだろう、という見立てです。 そして、「But:」の人達こそ尊敬されるべきだし、そうした世の中になっていくべき、なって行ってほしい、と私自身も—個別にどういう職種なり業界の人達かは軽々には言えませんが—思う次第です。(もちろん落合氏にしても、新たなモノ・コトを生み出して世の中を良くしつつ、それによって大いに金を稼ぐ人たちを否定しているわけではないと思います。) 【11】 Re:グローバル化におけるコミュニケーション Not only:英語を学ぶ/身につける But also:中身とロジックとパッション グローバル化の世の中において、今現在、英語がツールとして必要条件であるのは確かです。 しかし、AIで自助翻訳がどんどん進化していくと、そこでより重要になってくるのは、何を伝え、議論するかという中身を持っているかどうか、それをロジカルに相手に伝わるように構成する能力、そしてそれらに取り組む上でのエネルギーとなるパッションこそが問われるようになる、ということです。 言語には、その言語自体の持つ、ある種の思想が含まれますので、すべてが自助翻訳で済むところまでは行かないと思いますし、行くべきでもないと思いますが、「Not only:⇒But also:」の中でも、「But:」の部分の重要性が格段に増していくのは間違いないと思います。 その流れの中で、一時代前まで羽振りをきかせていた、 「英語使い」だけで世を渡り中身とロジックとパッションに乏しい人材は、今後、絶滅の方向に向かっていくのだろう、それが社会正義なのだろうとも思います。 【12】 Re:人材育成 Not only:個人的天才(The Genius)を育てる⇒カリスマ的英雄待望/崇拝 But also:集合的天才(Collective Genius)を育てる⇒互いに尊敬し合う仲間による衆知錬成のチーム作り 1人の万能の天才で対処するには、今の世の中は各分野での必要知識・スキル量が圧倒的に増大しつつある。従って、そこではそれぞれの個性的な「中身×ロジック×パッション」を持った人達が集合的にチームとして協働し、一種の集合脳として働く方がずっと効果的・効率的、ということです。 ここにおいて、特にディシジョンマネジメントの衆知錬成の考え方や方法論・ツールが役立つと考えています。 【13】 Re:社会・企業の発展 Not:革命指向 But:漸進的進化指向 多くの人は、革命が好きなようです。フランス革命、明治維新etcは、ドラマや本で見る限り、私自身も、血湧き肉躍ったことがあります。 しかし革命は、それが終わって落ち着いた後の、平和で安全な状況で振り返るから良いわけで、実際の渦中では血は流れ、人は現実に死ぬわけです。現代の企業社会において、文字通り人が死んだり血が流れることはほとんどないものの、リストラ云々で、比喩的には人が死んだり血が流れたりはします。 ここまでに論じた12個の「Not:⇒But:」ないし「Not only:⇒But also:」の方向に常日頃取り組んでいけば、血の流れる「革命」なしに、革命で達成される発展・飛躍以上のものが達成される、というのが私の仮説であり、願望でもあります。 社会・企業の革命にドキドキしたり血を流すより、1人1人のWork as (an important part of) Lifeを追求することにワクワクし、仲間と一緒に漸進的進化・進歩を続ける世の中の方がずっと楽しいし、Happyだと思いませんか?! 最後の方は、より願望的になってしまいましたが、以上3回の連載でお話した13項目が、今時点の私の【「Not:⇒But:」でつづる、「これからの社会・経済・人のあり方の仕組み・価値観」の変化の予感】です。 あくまで、(多分に妄想的な部分を含め)極めてラフなドラフトですので、今後、読者の皆さんとFace to Faceで語り合う機会に向けての私からの投げかけ、という位置づけで楽しんで読んで頂ければ幸いです。
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