ちょっとしつこいですが、前回の「エスカレーター 片側空け」問題をきっかけとした考察についての、続編です。 その後、頭が勝手に考えをめぐらせて出てきたのが、「外的力(がいてき ちから)による判断 vs. 内的力(ないてき ちから)による判断」という視点です。 前回の議論を発展させると、「規則」は、外的力による判断のよりどころとなるもの。かつ、権威や権力といった外的強制力が、それに従わない人間や行為に対して罰則/ペナルティを伴うもの。そして、外的強制力によるペナルティのレベルが弱くなると「マナー」、さらに弱くなると「慣習」となるのではないかと考えました。 「マナー」の場合は「~を強くお勧めします。従わない場合は、罰則はないものの、他の人達からマナー違反ということで白い目で見られることになるので、従った方が得策ですよ。」というニュアンスかと思います。 「慣習」となると、「特に白い目で見られはしないものの、他の人達の言動・行動とは異なるので、何かと不便・不都合が生じるという意味で、弱いペナルティが働く」ということかと思います。エスカレーターでの片側空けで、東京では右側を空け、大阪では左側を空けるのは、まさに慣例だと思います。 ということで、「外的力による判断」のよりどころとして、強制力やペナルティの強い方から弱い方に向けて、「規則-マナー-慣習」という並び方となります。 一方、「内的力による判断」のよりどころとなるものが、内的動機としての自己規律・行動規範・行動原則だと思います。 Ladies & Gentlemen 的な世界では、自己規律だけで良いのだろうと思います。しかし、人によって自己規律の内容や強さが違うことがあるため、社会や組織を維持するには、外的力も必要となり、そのよりどころとして規則が定められた、と考えるのが自然なのではないでしょうか? 一方、自らの自己規律にもとづいた判断をしようとする人であっても、個別個別の状況においては、時にどのような言動をしたら良いか迷うことも出てきます。その時に役立つのが、「ガイドライン」ということで、似たような状況での判断の参考事例集という位置づけになるのかと思います。即ち、ガイドラインは、外的力と内的力の中間的位置づけかと思います。 言語の専門家では全くないので、以下も勝手な想像ですが、「マナー」という言葉は、もともとは、この「ガイドライン」に相当する位置づけだったのではないでしょうか?それがいつしか、大勢の人がこの「マナー」を採用した判断をし、それが積み重なった結果、外的力の寄りどころのものになっていったのではないかと想像します。 以上、「エスカレーター 片側空け」問題についての追加考察でした。 <P.S.1>最近話題になっている「働き方改革」について、私は若干違和感を感じていたのですが、このブログを書きつつ、その原因の一つが見えた気がしています。「働き方改革」についても大きく2つのタイプがあって、「規則」ベースの、外からの強制力によるものと、「自己規律」ベースの、内からの力を強化・サポートするものの2つがあると思います。 私が違和感を感じるのは、 外的力の、例えば、残業時間規制とか、「○○時までには会社から全員強制退去」とか、PCの作動時間が記録されていて規則違反をすると会社から罰則を課せられる、といったものです。ひどくブラックな状態で従業員が虐げられている状況では、そうした状況からの脱却のために有効なのだと思います。しかし、そのレベルを克服できたら、できるだけ、社員自らの意欲を増大し彼らの自己規律にもとづく内的力が最大限に発揮できるよう、それを強化・サポートする働き方改革であってほしいと願うものです。 <P.S.2>ちなみに、最近ゴルフ(の練習/上達の為の努力)にはまっている関係から、「外的力としての規則 vs. 内的力としての自己規律」という観点でいうと、ゴルフにおける「マナー」というのは、どういうことになるんだろうかと思ったりしています。 順位を厳密に競うような競技状況では、罰則を伴う「規則」として、かなり厳密に適用する必要があるでしょう。しかし、一人であるいは友達同士で楽しむ際には、あくまで自己規律として、実際の適用はそれぞれの判断に委ねられても良いと感じられるので、ガイドラインで良いのではないでしょうか? 服装規定がやたらと厳密でやかましいゴルフコースのことなどを見聞きすると—私は根が素直なので (^_^;) 、基本的には全て従うようにしていますが—、何でそこまでうるさく言うのかな、と思ったりします。 ですから、ゴルフにおける「マナー」は基本的にガイドライン、せいぜい弱い強制力をもった「~ highly recommended (強くお勧めします)」であって、罰則を伴う「規則」としての「~は禁止します」と言ったり書かれたりしないほうが良いのではないかと思います。 そもそも「紳士・淑女のスポーツ」と言うなら、自己規律をもった「紳士・淑女」に対して、「禁止します!」など、無粋だし失礼じゃないですか!? せいぜい、紳士・淑女が自己規律にもとづいて如何なる言動をしたら良いか、よくわからない場合に備え、親切なアドバイスとしてガイドライン的な行動や判断の事例を示す、というのが妥当なところではないかと思うわけです。
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