少し前になってしまいましたが、12月はじめの日経新聞夕刊に【働き方改革 「ほめる」から】という記事が載っていました。以下にいくつか文章を拾い出しますので、その内容を読み取ってみてください。 ——————————– 「いい働きぶりだったよ」「よく頑張ったな」-社員同士でほめ合う職場風土の醸成に企業が動き始めた。誰しも称賛されれば悪い気はしない。社員のやる気を高めて仕事での貢献をさらに引き出す試みだ。人手不足が続く一方で長時間労働の是正も求められ職場のボトムアップが欠かせない。「ほめる」働き方改革に企業は生産性向上を期待する。 ・・・鉄鋼建材などを扱うカクイチは11月に社員同士が感謝の言葉をスマートフォン(スマホ)などで送り合えるシステムを導入した。狙いは、ほめる文化の浸透だ。「見積書をつくってもらったおかげで契約が取れました」「子どもが熱を出して早退したとき、カバーしていただき感謝します」。本社や全国の営業所に散らばる約400人が利用し、1日100件以上の〝ほめメッセージ〟が飛び交う。 ・・・システムを提供するのはITベンチャーのユニポス(東京・港)だ。17年5月のサービス開始以来、契約は100社を超えた。 ・・・ベネフィット・ワンとシンクスマイル(東京・港)が共同で提供する「RECOGインセンティブ」はメッセージに加えて感謝ポイントも送れる。ほめるレベルはFANTASTIC(48ポイント)、GREAT(24ポイント)、NICE(12ポイント)の3段階。1ポイント1~3円に換算し、累積ポイントを食事券やレジャー施設の入場券、家電などに交換できる。 ・・・資生堂ジャパン(東京・港)は今年1月から働き方改革の一環で「グッジョブ・アクション」を始めた。伝え方は各職場に任せているが、互いに積極的にほめ合うことを会社が社員に勧めている。 ・・・「仕事が忙しくなると職場の人間関係がぎくしゃくしがち。ほめる文化が定着すれば仕事も円滑に回る」 ・・・日本企業では、できないことを叱って育てるスタイルが長らく主流だった。企業が今、叱るからほめるに軸足を移す背景には20代のデジタルネーティブ世代の台頭もある。 野村総合研究所のシニアプリンシパル久保田陽子さんは「物心付いたときからスマホが手元にあった彼らは交流サイト(SNS)を使い慣れていて、自己承認欲求が強く、ほめられたい。少子化で大切に育てられてきたこともあり、叱られることに慣れてもいない。かつて日本企業で主流だった叱る文化は、彼らを萎縮させてしまう」と指摘する。 ただ、企業人として教育するには、ときにはちゃんと叱るべきだという。久保田さんは「承認欲求の本質は『かまってほしい』願望。ちゃんと彼らを見たうえできちんと叱るのであれば、ほめるばかりでなくても受け入れる」と助言する。 ——————————– これを読んでまず思ったのは、現在の50代以上の年代の経営層には、「叱る」ことが部下育成の基本アプローチとして刷り込まれた人が多いということです。まず叱ったあとで、具体的にどうすべきかを教えたり、さらに「何が叱られた原因か」まで含めて考えさせる、という指導方法です。 今の30代半ばから40代の方々が大変というか気の毒だと思うのは、こうした「叱る」育成法で自分達が育ってきているので、幹部からの叱責には耐性ができているし、長年の付き合いで叱責の言葉から改善のヒントを拾い出すのにも慣れているのですが、同じアプローチを上司として部下や若手には使えないということです。 記事の中にもあるように「自己承認欲求が強く、ほめられたい。叱られることに慣れてもいない」部下に対して、「叱る」アプローチで接していけば、彼らの多くはやる気をなくし、へたをすると会社や組織を辞めてしまうからです。 「叱る」と「ほめる」はもちろんバランスであり、時と場合によるわけですが、私は、自分自身「叱られること」に反発を覚える傾向もあって、「ほめる」文化の方が、全体的には望ましいし優れていると思っています。 また、SNS世代の人達がこれから社会の中核を担っていくことを考えると、「叱る」文化の企業・組織のままだと、叱られる耐性の強いごく一部の人達や、会社を辞めても他に選択肢を持てないレベルの人達だけが会社に残るようになって、早晩そうした会社には明るい未来はなくなるだろうと考えられます。 ・・・ということで、記事の主旨にはほぼ賛同したのですが、抜粋の最後の節の中の久保田さんの「承認欲求の本質は『かまってほしい』願望。ちゃんと彼らを見た上できちんと叱るのであれば、ほめるばかりでなくても受け入れる」を再読していて、微妙な違和感を持ちました。 そもそも「ほめる」にしても「叱る」にしても、正解ないしあるべき姿があり、そこに到達していたり想定を越えていれば「ほめる」し、出来ていなければ「叱る」、という前提というかフレームをベースにしているのだと思います。 その意味では、ほめたり叱ったりする当事者と、ほめられたり叱られたりする当事者同士が、十分な説明さえあれば内容を理解し完全に合意できるような事柄については、「ほめる」「叱る」があってしかりだと思います。 なおその際、「ほめる」「叱る」主体は必ずしも上司であるとは限りません。両者が本質的に合意できる事柄や規範を上司が踏み外していれば、部下の立場の人が叱っても良いはずです。もちろん上司の素晴らしい言動に対して部下がほめてもいいはずです。 多くの場合、上司の方が、それまでの社会・企業・人生経験から、あるべき規範をふまえている可能性が高く、従って上司の方が未熟な部下を叱ったり、時にほめたりする確率が高い、というだけのことです。 この記事は、そういう前提の中で、最近のSNS世代の特質をふまえて、出来ていない点を叱るより、出来ている点をほめる方が効果的と言っているわけです。 しかし、しかしですが、今の時代、大前提となる「正解ないしあるべき姿」って、そんなに確かなものとして、あらゆる人達同士にとって完全に同意できる事柄として本当に存在するのでしょうか? 答えは「ゼロではないが、極めて少ない」だと思います。 グローバル化の中で、様々なバックグラウンドの人達が交じり合い、活動しています。その中で、SNSをはじめとしてディジタル・ネイティブな人達の増加で、何が大事かと思う哲学的な意味での価値観も大きく変化しています。この状況で、一枚岩的に合意できる正解やあるべき姿を想定することは、もはや相当に困難な状況と言わざるを得ません。 その意味では、【「叱る」文化→「ほめる」文化】というフレーム(考え方の枠組み)は、「人にはできる限り親切にしましょう」とか「人を不愉快にするような言動は避けましょう」といった、きわめて基本的な規範についてのみ、それらを「実践できている人」と「実践できていない人」との間でのみ、ある種上下関係が成り立つのだと思います。 そして今この時代においては、多くの事柄について、規範やあるべき姿が人によって異なる可能性が大きいわけで、そこでは上下関係を示唆する「叱る」とか「ほめる」というフレーム自体を突き崩す必要があるのではないでしょうか? 私の提案は、【「叱る」vs「ほめる」】フレームから【「賞賛」&「助言」】フレームへの転換です。「賞賛」のところを「感謝」にしても良いかもしれませんが、いずれにしても、上下関係のフレームから対等関係の(フラットな)フレームへの転換です。 新たなフレームのもと、「相互リスペクト(尊重)と相互助言&賞賛・感謝にもとづく協働作業者仲間の楽しく元気な価値創造コミュニティ」を目指すのが最も適切だと思います。 私が常日頃提唱している「やる気のある普通の人達が不確実性に満ちた課題に、チームとして協働して取り組み、価値創造していく衆知錬成の意思決定」の考え方のベースもそこにあるのだと、改めて感じた次第です。
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