「きれいごと理想論」vs「Can we afford it? 問題」vs「なんとかなるさ!世界観」 |
前回のブログで、誰も反対しない「きれいごと」を大所高所から発言するだけの経営者は、経営者としての役割を果たせていない、少なくとも給料分の仕事をしていない、という主旨の問題提起をしました。 経営者の「きれいごと」に限らず、世の中には誰も反対しないような「べき論」や「理想論」があります。「人には親切に」「強者は弱者に寄り添え」「どんな個人も社会から孤立させてはならない」「格差を無くし皆の所得を上げよう」等々。 結局、誰が時間を使えるのか?誰が金を払うのか?という疑問が湧いてくるのです。 ちなみに、「きれいごと理想論」は時に過激になる傾向があるように思います。熱情に駆られ、理想の実現のためには「万難を排して!」ということで、既存の秩序や日常の生活など破壊してもかまわない/破壊すべき、という極論に走りがちです。要は「普通のちゃんとした日常を送れるか?問題」を置き去りにした思考と行動に陥る危険性をはらんでいるのです。 ・・・と、ここまで論じた上で、ここにひとつの難題というか命題が浮かんできます。それは「何とかなるさ!世界観」です。 |
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