未来を創る意思決定 ~「後知恵的決めつけ」への批判的考察を踏まえて~ |
先日、あるセミナーに参加し、そこでの講演の一つとして、大学で経済学・経営学を教える先生の話を聞いたのですが、その時感じた違和感をきっかけに考えたことを記してみます。 以上の大学教授の説を受け、皆さんはどう感じられたでしょうか? 「騎馬軍団戦略を貫くことこそが、我が武田氏の存在意義であり、その戦略で負けたとしても、それはそれで仕方がないし、結果を甘受する覚悟はある」 と考えていたとしたら、敗北は半ば予想していたことであり、それ自体は決して嬉しくはないものの「我が武田軍団に悔いなし」と思ったかもしれません。 「わが社の存在意義、企業としての目的は、CDプレイヤーではなく、LPレコードで音楽を楽しむ人達に向け、その為の重要部品であるレコード針を製造・販売していくことで貢献することであり、レコード針産業の市場規模が縮小していくなら、それに身の丈を合わせて会社規模を縮めていけばいい。もしこの産業自体が、世の変遷の中で消滅するなら、我が社の社会的存在意義がなくなるのだから、その時は潔く消え去れば良い。嬉しくはないが、そうした事態に備えて、その時に社員や取引先、株主たちが困らないよう、準備を着々と進めておけばよい」 と考えたとしたら、選択肢2を選び、企業規模縮小ないし消滅という、あまり嬉しくない結果になったとしても、それは決して「失敗」とは言えないわけです。 ここで、レコード針の会社の状況とは哲学的価値観の方向性がかなり異なりますが(「主力事業へのこだわり」vs「短期的利益追求」という意味で)、コダックの意思決定を富士フィルムとの対比で考えてみましょう。この例でいえば、富士フィルムは選択肢1をとって、企業存続・発展という意味で成功したのですが、一方のコダックは選択肢2をとった結果、企業消滅に至り、普通の意味では失敗とされるわけです。しかし、もし当時の株主や経営陣が、覚悟と自覚をもって短期的利益追求が最重要と考えていたのだとしたら、哲学的価値観の観点からすれば「失敗」とは言えないわけです。 私は個人的には、短期利益偏重の株主や経営者にはかなり否定的ですが、本質的には、意思決定は意思決定主体者の哲学的価値観に従って行えばよく、当事者でもない外部の人間がとやかく言うべきことではないのです。
以上、大学教授の講演をきっかけに色々と思いを巡らせたことを論じてみました。私がこれまで行って提唱してきた幾つかの要素も含めて、あらためて「未来を創る意思決定」という観点で、論点を以下のようにまとめてみたいと思います。 1.「合理的に意思決定した結果が、合理的に失敗につながるという『不条理』」といった思考の陥穽に陥ることなく、「全力を尽くして意思決定の質を高める」ことに取り組めば、合理的(=条理に基づいた)かつ納得性の高い結論に到達することができる 2.事業環境の変化に対応・先取りして、戦略アジェンダ(戦略課題のリスト)づくりに前広に取り組むことが重要 3.戦略アジェンダの各課題に取り組む際、 複数の迷うに足る選択肢の設定、不確実要因の的確なとらえ方、価値判断尺度の明確化を通じて、質の高い戦略策定と意思決定に取り組めば、不確実性の下では、リアリティとして「不成功」(←「失敗」ではなく)という結果的に嬉しくない状況が起こることはあるものの、(相対的に)うまくいく確率の高い、かつ納得性のある結論や合意に到達することができる 4.戦略アジェンダの設定やその中の各課題に実際に取り組む際、関係者の知恵と知識を最大限に活用し、チームによる衆知錬成を行うことが有効 5.検討にあたっては、必要に応じて、 価値判断尺度の一つとして「取引コスト」を入れることもありうるが、トップ一人での取り組みでなく関係者を集めたチーム意識醸成による取り組みを行えば、そもそも関係者間の余計な取引コストを事実上ゼロにすることもできる 6.以上のような戦略アジェンダ設定、個別課題への衆知錬成の取り組みを、前広かつ継続的に行っていけば、そのプロセスを通じて、ダイナミック・ケイパビリティは結果的に醸成され発揮されていく 7.これから意思決定に主体的に取り組む個人や組織・企業にとって、唯一絶対の正解など存在せず、各々の状況と主体にとっての納得解があるだけ。従って、「後知恵的決めつけ」や批判は強く自戒すべきであるし、そうした分析から得られる洞察・教訓の活かし方には十分に慎重であるべき。
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