前回のブログ(「稼ぎ」と「生きがい」について)と通底する問題意識にもとづくブログ記事です。この問題意識を刺激する(だいぶ前のものも含めて)3つの記事を引用しながら論じて行きたいと思います。(「⇒」以下に、記事を受けた上での私のコメントを記して行きます。)1⃣[「新しい資本主義」の視点㊤ 事前分配で機会の平等重視 スティーブン・ヴォーゲル カリフォルニア大学バークレー校教授](2022年7月27日付 日本経済新聞朝刊のAnalysis欄の記事より)…日本型資本主義を改革し成長と平等の両方の実現を目指すという首相の考えは正しい。だが問題はいかに実現するかだ。政府が不平等に根本から取り組むつもりなら、再分配よりも「事前分配」を優先すべきだ。…再分配は、市場での利益配分を所与のものとして受け入れたうえで、事後的に社会福祉支出や累進課税などの政策手段により不平等の緩和を図る。これに対し事前分配は、経済活動から利益を得る人にまず、公共投資や市場改革を通じて影響を与えようとする。…事前分配が目指すのは機会の不平等をなくすことであり、不平等になってから埋め合わせることではない。…事前分配が目指すのは市場メカニズムを排除することではなく、市場をよりよく機能させることだ。…再分配に反対するわけではないが、最初に分配を正すことが大前提だ。機会の不平等を後で埋め合わせるよりも、まずは機会の不平等の排除を試みるべきだ。…事前分配の視点に立つと改革の優先課題を決定づける枠組みが見えてくる。事前分配政策で優先すべきは教育、職業訓練、研究開発などへの公共投資やスタートアップへの財政支援だ。幼児教育、出産休暇・父親の育児休暇・介護休暇などを含めた家族政策も優先すべきだ。これらの政策は子供への支援であるとともに親のスキル開発と就業支援でもある点で、事前分配と再分配の性格を併せ持つ。…市場改革に関しては、日本政府は直ちに最低賃金を引き上げるべきだ。…また同一労働同一賃金の原則を徹底させ、正規・非正規間の賃金・雇用保障・福利厚生面の格差を縮小すべきだ。さらに労働時間の短縮、柔軟な勤務体制、リモートワークの選択可能性など、ワーク・ライフ・バランス政策を推進することも必要だ。これは生産性の向上にもつながると期待できる。…一方で政府は、労働者その他のステークホルダーを犠牲にして企業収益を高めるような動きを阻止せねばならない。…長い間、成長と平等はトレードオフ(相反)の関係にあるとされてきた。だが戦後期の日本は成長と平等の両方を実現し、この前提が間違いであることを証明した。そして近年では、日本や米国をはじめ多くの先進国が、不平等は成長の妨げとなることを示した。不平等に関して米国は日本よりずっと状況が深刻であり、日本は米国を反面教師とすべきだ(図参照)。実際、米経済は上方への事前分配が行われていると考えられる。つまり、労働法規から企業統治に至るまで市場のルールが、富裕で権力を持つ層の利益を最大化し、それ以外が割を食うように構成されている。事前分配の観点からすると、今日の日本は戦後期の日本より成績が悪いが、米国に比べれば不平等の度合いはずっとましだ。事前分配に力点を置いた改革を進めることで、日本の状況は大幅に改善されるだろう。⇒事前分配vs事後分配という言葉自体、あまりなじみがなかったのですが、確かに事前分配による格差縮小の方が望ましいと感じます。前回のブログで論じたように、「稼ぎ」の額はその人の仲間や会社、そして社会への貢献量の反映だと考えると「稼ぎが少ない=社会への貢献量が少ない=人としての存在価値が小さい」と変換され、その稼ぎの少なさを事後分配を受けて補ってもらうのは、大げさに言うと「人間としての尊厳にかかわる」ことにもなるわけです。記事の中の図表には、上位1%の人の所得全体に占める日本とアメリカでの割合が、日本では13%程度なのに対してアメリカでは19%、下位50%の人の所得割合は日本では17%に対してアメリカでは13%というように、確かに所得格差の面では日本の方がましのようです。私の従来からのイメージからすると、それでも日本でも格差はだいぶ大きくなってきてるなと思うわけで、やはりその是正は必要だし、やり方としては上に論じたように、事前分配的なやり方が良いだろうと思います。以上に述べたこと、そしてヴォ―ゲル教授の記事の前提は「格差が大きすぎるのは良くない」ということなのですが、そういう考えを真っ向から否定するかのような、次の記事のような考え方もあるようです。2⃣[米億万長者の革新性 アメリカン・エンタープライズ研究所ディレクター マイケル・ストレイン氏](2024年2月1日付 日本経済新聞朝刊の「グローバルオピニオン」というコラム記事より)「社会民主主義者」を自称するバーモント州選出のバーニー・サンダース米上院議員は「大富豪は存在すべきではない」と主張する。米国の進歩派の間でも「富豪を生んだのは政策の失敗だ」というスローガンがよく聞かれる。…これらナショナリストや進歩派の考え方は間違っている。富豪は減らすべきではなく、むしろ増やすべきなのだ。富豪の革新者は、社会に莫大な価値をもたらす。ノーベル経済学賞を受賞した米エール大学のウィリアム・ノードハウス教授によると、「技術の進歩による社会的リターン」のうち、革新者自身にもたらされるのはわずか約2.2%にすぎないという。残りの大半の利益は消費者が享受した。…主に1億~10億㌦の純資産を得る手法は遺産相続ではなく、起業家精神と骨身を削る努力だ。米国の最も裕福な世帯上位1%の約75%が事業を所有している。ある論文によると、米国の富裕層上位400人のうち、約10人に7人がたたき上げで、約3分の2は裕福な家庭の出身ではなかった。富豪たたきは、成功は悪いというひねくれたメッセージを若者に送ることになる。若者は向上心を失い、リスクをとらなくなる。努力や生産性の向上によって報酬が増えるため、こうしたメッセージは格差の拡大につながりかねない。まさに反富豪派が解決しようとしている問題だ。…ブルームバーグの指標で上位の富豪を見てみよう。多くは我々の生活様式を変えた革新者である。米マイクロソフトの共同創業者ビル・ゲイツ氏と元最高経営責任者(CEO)のスティーブ・バルマー氏はパソコンに革命を起こした。ベゾス氏は小売業を根底から覆し、米グーグルの共同創業者ラリー・ペイジ氏とセルゲイ・ブリン氏はインターネット検索、米オラクルの共同創業者ラリー・エリソン氏はデータベース用のソフトウエアを発展させた。米テスラ創業者のイーロン・マスク氏は自動車産業を変革した。彼らのいずれも政策の失敗ではない。存在しないことを望むのではなく、存在することを喜ぶべきだ。世界の多くの人にもたらした価値は彼らの純資産をはるかに超える。若者は成功のキャリアを手本にして向上心に燃えるべきだ。⇒ストレイン氏の論を読むと、確かに大富豪の人達を個人として非難するのは筋違いの気がしてきます。しかし、その一方、米国社会の格差がここまで広がり、かつての中間層の人達の所得が大きく減り、それが社会の分断を招いている状況を見ると、個人としての億万長者の人達を非難するのは筋違いであるものの、やはり億万長者の一方で、中間層以下の人達が貧困化するという社会や経済の仕組自体には問題があると考えざるを得ないと思います。やはりこの「資本主義のひずみ」を何とかしないと、稼ぎの多寡が個人としての尊厳につながる以上、「1人1票」という民主主義社会の根幹をゆるがすことにつながりかねないわけで、何とかしないとならない問題のように思います。ストレイン氏の論の背景には「突出した天才が社会の進展をひっぱり・駆動するのが是」という信念があるように感じるのですが、この「天才突出・駆動型」の社会なり企業経営とは正反対の考え方をワークマンの土屋氏が語っていたので、以下に引用してみます。3⃣[経営者は『凡人』だと自覚せよ。現場に任せれば、社員は自走する](日経ビジネス2024年1月29日号の「賢人の警鐘」というコラム記事でのワークマン 専務取締役 土屋哲雄氏の言葉より)私は「自分の言うことは、半分間違っている」と社内で公言している。…私みたいな「凡人経営者」の話を無批判に聞くのはダメだ。自分でよく考えながら前に進んでもらいたい、と伝えている。…私への報告は、最低限でいいとも言っている。そのせいか、社員は自分で仮説を立てて、検証をしながら進む癖が付き始めている。これが、凡人経営の効果だ。現場に権限を与えると、「自分で考え、自分で走る」社員が増えてきた。当社は本気で「100年の競争優位」を目指しているので突出した経営者やスター社員に期待してはダメだ。経営者が飛び抜けて優秀だと指示待ちになり部下や後継者が育たない。…最後に凡人経営者に高い報酬は不釣り合いだ。私の貢献度は、会社を動かしている部長などより低いと思う。人件費の原資は、現場を支える社員に幅広く分けるべきだ。実際、私が当社に加わった2012年の社員の平均年収は560万円だったが、賃上げを続けて来期は約770万円まで上がる見込み。小売業としては高い。凡人経営者である私の一番の誇りだ。昨今は億単位の報酬を取る上場企業の取締役が増えているが、若手社員の20倍以上も企業に貢献しているとはとても思えない。⇒土屋氏のこれまでの実績や言動を見聞きすると「凡人」経営者とは思えませんが、自らを凡人と自覚し「現場の社員に判断を任せ『自分で考え、自分で走る』社員を増やしていくことでサスティナブルな企業にしていく」という考えは素晴らしいと思います。(例によって、「ビジネス誌に書いてあるものは、実態より美化されがちな傾向がある」という留保をしつつみておく必要はありますが・・・)米国の起業家型億万長者や突出したスター経営者による経営で企業や社会をグンと発展させていく、という考え方とは対比的な、私の言葉を使わせてもらえば「凡人チーム衆知・錬成型」の企業経営なり社会、ということになります。凡人チーム衆知・錬成型経営では、本来は「上場企業取締役の報酬が若手社員の20倍」に達しないのが妥当、という土屋氏の感覚に従えば、企業の中での待遇格差はそれ程大きくならず、そうした凡人チーム衆知・錬成型企業が世の中のマジョリティになれば、社会全体としての格差はそれ程大きくならないのではないかと考えます。もちろん、社会の中にポツポツと「天才突出・駆動型企業」があっても全くかまわないのですが、社会全体のベースとしては「凡人チーム衆知・錬成型企業」を推奨すべきではないでしょうか?もちろん逆の極端の、努力や能力によって格差が全くつかない企業や社会も、個人の強い動機を生まなくなるという弊害があるので、せいぜい10~50倍程度の納得できる差の中での実力主義の処遇差が妥当なところかと、個人的には思います。その意味で、先のブログでとり上げたオービックの例は(オービックの中での処遇差が具体的にどの程度になっているかは知りませんが)、凡人チーム衆知・錬成型企業(オービックの経営者が自分を凡人と自覚しているかどうかも知りませんが)の参考例になるような気がします。
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