先の「分断問題の本質と解決へのヒント⑴」では、分断問題の本質についての考察と、解決へのヒントの1つ目としての「衣食足りて礼節を知る」について、途中までお話しました。この⑵では、その続き(とりわけ企業における「高潔心>劣念」について)と、2つ目のヒント「富を分かちあう経済システム」について、関連記事に沿って論じて行きたいと思います。3⃣[カリスマより「サーバント」 上司は怒鳴らず、励ます 「社員が大事」に感激 アルファ・アソシエイツ社長 藤原美喜子氏(2023年10月26日付 日本経済新聞夕刊の「私のリーダー論」というコラムのインタビュー記事より)](青字は記者からの質問です)…「渡英前は仕事のために生きていました。毎日夜遅くまで働き、疲れていた。最終の新幹線で名古屋から東京に戻るはずが、反対方向の大阪行きに乗ってしまったことも。英国では『日本人は仕事のために生きるけれど、我々は生きるために仕事をするんだ』と言われ、はっとしました」「睡眠時間を削って働くのが立派な社員。そんな発想はなくリーダーでも残業は夜7時くらいまでにとどめ家族との時間を大切にする。7時間くらいはしっかり寝て有給休暇も100%取得する。その代わり勤務中の仕事のスピードは猛烈に速く生産性は高い。絶対に忙しいとは言わない。学ぶべき点ばかりでした。…――仏ソシエテ・ジェネラル証券での勤務時代、英国に家族を残し日本に単身赴任しました。会社を恨めしく思いませんでしたか?…「いえ。恨むどころか、そのときの上司や会社の対応に感動すら覚えました」「日本への転勤は会社に大きな利益をもたらす仕事をした結果としての栄転でした。ただ当時夫は大学の学部長になったばかり。子供も受験生で家族の帯同は無理でした」「そんな私に本社の人事本部長はまずこう言ったのです。『君が単身で日本に行くのは非常に申し訳ないと思っている』。そして家族へのサポート策を考えてくれました。夫や私が日英を行き来できるよう支援する。また、子供の教育費を支払うので親が考えるベストの教育を受けられる学校を子供のために選ぶよう言われました」「仕事の内容の説明より先に私にとって最も大事な家族のことを案じ、できる限りの支援策を考えてくれた。そして単身赴任について『女性なのに家族を置いていくなんて』などと誰も非難しない。会社や上司へのエンゲージメント、つまり忠誠心は高まり、仕事への意欲も増しました」…――まさに好循環ですね。…「社員を大事にするというのはこういうことなのです。⇒ここでは、先の(1)で紹介したのとはちょっと違う、企業経営における「劣念」と「高潔心」が語られていると感じました。(この記事についても、コラム本来の主旨の「リーダー論」とは違う点に着目してしまいましたので、藤原氏には申し訳なく思っています。)企業経営においては、「社員の心身の健康に十分以上に心配りし、家族との時間をもつことに対して十分な処遇・待遇を行う」が「高潔心」だと思います。一方「劣念」は「株主からの業績アップへの要求・圧力が厳しい中、会社の業績向上の為には社員は、身も心もささげてほしい。家族のことなどで、会社に余計な心配やコストをかけさせないでもらいたい」でしょう。業績が悪くなると、あるいはそもそものビジネスモデルが悪いと、「高潔心」の発揮どころではなくなり、そのキャパシティを「劣念」の方が大きく上回ってブラック企業になってしまうわけです。その意味で、少なくとも藤原氏が当時働いていたソシエテ・ジェネラルは、ビジネスモデルとそれにもとづく業績が抜群に良く、「高潔心>劣念」が達成されていたのだと思います。そして、会社としての「高潔心>劣念」が達成されていれば、そこで働く社員のエンゲージメントが高まりさらに業績が良くなり、「高潔心>>劣念」となって社員のエンゲージメントがさらに高まる ⇒… という拡大良循環が達成されることになります。以上は、1つの企業の中での話です。しかし、これが社会全体のシステムとしてまわってこないと、ソシエテ・ジェネラルのように「高潔心>>劣念」の勝ち組企業が存在する一方で、「劣念>高潔心」の企業が出てきてしまいます。それには、「負け組」的企業や「経済的負け組」的な個人(⇒あいまいな弱者)を如何に作らないようにするか/ 少なくするか、に向けた社会全体の仕組みが必要になってきます。その実現に向けて、2つ目のヒントを与えてくれたのが、次の記事です。4⃣[世界80億人誰もが起業家 グラミン銀行創設者・ノーベル平和賞受賞者 ムハマド・ユヌス氏(日経ビジネス2024年3月25日号の「編集長インタビュー」という記事より)]…私たちが目の当たりにしている富の偏在と集中は、誰もが他者よりも多くのものを手に入れようと行動した結果なのです。…富とは力です。これは単純明快です。経済力を持てば、政治力が、メディアの力が手に入り、政治社会システムを自在に操れるようになります。…最終的には一握りの人が世界中の富を独占することになるでしょう。分断は経済システムに根差しています。システム全体を再設計する必要があります。…分かち合いの経済への転換です。…私が提唱する新しい文明は富を分かち合う方向へと向かいます。…私の実践のスタートは、バングラデシュの貧しい女性のために銀行サービスを提供したことです。…銀行システムは、お金をたくさん持っている人により多くのお金を与えるように設計されています。持っていない人にはお金を貸しません。これを逆転させるべきだと私は訴えたのです。…当初、私たちが融資したバングラデシュの女性たちは学校に行ったことのない、教育を受ける機会に恵まれなかった人がほとんどでした。しかし、それでも5ドルや10ドルといった資金を得ると皆ビジネスを立ち上げたのです。ビジネスの始め方が分からないと文句を言うことはなく、融資さえ得られればなんとかしました。…彼女たちは仕事を求めている求職者ではなく、起業家なのだ、と。そしてこれこそが人間本来の姿なのです。人間は自立した個人として生まれてきます。人間は創造的な生き物なのです。ところが仕事に就くと、創造性を放棄してしまう。仕事とは自分で決めるものではなく上司の指示に従うものだからです。…仕事とはいわば雇い主に身を委ねる奴隷制度です。…企業活動の目的とは利益を最大化すること。利益を上げれば、さらなる投資が可能になり、ビジネスは拡大し、経済は成長する。人々に雇用を用意し、多くの給料を支払うことが可能になり、人口は増え続ける――。これが資本主義システムについての標準的な説明です。しかし、これまでも指摘した通り、その過程で富の強烈な集中が引き起こされています。…根本から原因を解決しなければ意味がありません。ビジネスの目的に、利益の最大化とは別の選択肢を与える必要があります。…ビジネスの目的が利益の最大化だとされているのは、経済学が人間を利己的な存在だと定義しているからです。しかし、これは誤りです。人間には利己的な部分もあれば、無私の心もあります。金もうけを目的としない新しい種類のビジネスを導入すれば、私たちは社会問題、環境問題、水問題を解決できるのです。これがソーシャルビジネスです。…ソーシャルビジネスもあくまでもビジネスであって、慈善活動ではありません。資金を投じてサービスや製品を生み出し、それを売って投資分を回収してコストをカバーします。これまでのビジネスと異なるのは、利益の最大化ではなく、社会問題の解決を目的にしている点、それだけです。…もはや、どの国でも政府による生活保障や支援は機能していません。というのは、その仕組みは受給対象者に「お金を提供するから、何もするな」と言っているようなものですから。何もしないことの代償にお金をもらうなんてできますか。誰もが創造性を持つ人間なのに。…ソーシャルビジネスは一つの突破口になるでしょう。創造的なアイデアが次々と実現すれば、経済は活性化されます。日本は創造的な力に恵まれています。⇒ユヌス氏とグラミン銀行については、ずい分前に関連する書籍を読んだこともあり、すばらしい活動ですばらしい方だなと感動したことを覚えています。今回、ここまでのブログでの思考の流れの中でこのインタビュー記事を読み、「富の集中の経済システム」から「富の分かち合いの経済システム」へというのが、グラミン銀行の理想であり、核心の思想なのだとあらためて感じ入りました。具体的には、企業活動の目的を「利益最大化」ではなく「社会問題の解決」とし、利益は「社会問題の解決」を持続的な仕組みとして実現して行くための潤滑油として必要十分なものを確保する、ということだと思います。それであれば、「利益最大化を至高の目的として企業の設立・維持・発展」を目ざさない企業にすれば良いだけなので、今の資本主義の経済システムを徐々に修正していけば本質的には十分実現可能かと思います。修正作業自体は勿論簡単ではないものの、その具体的なやり方については専門的知識・スキルを持つ人達がいくらでもいるはずなので、大きくはユヌス氏の構想と方向性の実現にむけ、その人達の知恵と知識・スキルが活用されるよう期待したいと思っています。少し飛躍しますが、「社会課題の解決」ないし「よりよい社会への改善活動」を企業活動の目的とすれば、究極的には企業とNPO、仕事とボランティア活動の違いもあまり重要な要素にならなくなる気がします。ユヌス氏は「ソーシャルビジネスもあくまでビジネスであって慈善活動ではありません」と言っていますが、その本意は、「企業活動が自ら生み出した利益によって、維持発展されていく」、つまり慈善活動のように外からの資金(=利益最大化目的の企業活動から生まれた利益の一部が、「罪ほろぼし」的に提供されたもの)にたよらない、ということだと思います。そう考えれば、企業とNPO、仕事とボランティアの区別も、それぞれの活動の原資が(外部からの供給に頼らない)自己調達原資(お金や人など)である限り、あまり重要な区別ではなくなる、ということです。なお、ユヌス氏の「仕事とは雇い主に身を委ねる奴隷制度」という言葉は、背景となるバングラデシュの状況や、世の中のブラック企業においては、そうだと思います。しかし、社員の働きやすさと働きがいを両方重視し「高潔心>劣念」を満たすだけの好業績を実現させている、いわゆる「プラチナ企業」においては「奴隷制度」という見方はあてはまらないと思います。ユヌス氏の目指す「社会課題の解決を目的とするソーシャルビジネス」で働く人達にとっては、仕事はやりがい・生きがい・自己実現のために自らの自由意思で乗る「乗りもの」であって、決して奴隷として身を委ねる場ではないはずだからです。以上、⑴、⑵合わせて随分長いブログ記事になってしまいましたが、読者の皆さんが興味深く読んで頂き、何らかの知的刺激にして頂ければ嬉しいです。
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