ここ十年来、理想主義的なスローガン/ バズ・ワード(流行り言葉)を聞くたびに、標題の2つの英語”Can we afford it?”と、その対句的な言葉”At the expense of”という言葉が頭に浮かびます。まず、私の中のこの問題意識に触れてきた、2つの最近の記事を紹介してみます。1⃣ [「福祉より国防」 欧州の転換1(2024年5月28日付 日本経済新聞朝刊の「迫真」というコラム記事より)]…NATOの防衛費増額目標を達成するために、社会保障関係費を削減するのは「理にかなっている」――。2月25日、ベルギー首相のデクロー(48)は地元テレビ番組で明言した。首都ブリュッセルにNATO本部を抱えるベルギーの防衛費はGDP比1.2%(2023年予測)。32の加盟国では1%のルクセンブルクに次ぐ最下位クラスだ。そんなベルギーの世論も変化している。デクローは「欧州は3世代にわたって平和に共存してきた。次世代にもそうであってほしい」と述べ、防衛費増に理解を求めた。…ストックホルム国際平和研究所によると、23年の世界の軍事費は前年比6.8%増の2兆4430億㌦(約378兆円)で過去最高だった。4分の1を占める欧州は16%増えた。…防衛費2%目標を達成したデンマーク。首相のフレデリクセンは2月、英フィナンシャル・タイムズのインタビューで「私たちはあまりにもナイーブで、西側は豊かになることに集中しすぎた」と語った。さらなる増額のために福祉への支出や減税を抑制すべきだと主張。「国民と議論するときが来た。私たちは過去30年間、自由の代償を払ってこなかった」と訴えた。2⃣[SDGsはアプローチを変えて コペンハーゲン・コンセンサス代表 ビョルン・ロンボルグ(2024年6月3日付 日本経済新聞朝刊の経済教室の「私見卓見」というコラム記事より)]2030年までに貧困と飢餓を大幅に削減し、最も弱い立場にある人々の生活を変革する。日本を含む各国は2015年に「持続可能な開発目標(SDGs)」に合意したが、残念ながら進捗状況ははかばかしくない。…遅れの理由のひとつはSDGsが掲げる約束の多くが野心的すぎることだ。飢餓と感染症の完全撲滅や、すべての人のための雇用や社会保護制度の実現を約束した。これらは価値あるものだが、理想的すぎる。焦点も定まっておらず、169の目標すべてに同等の重要性が与えられている。子どもの飢餓をなくすという重要な約束は、自然と調和したライフスタイルを送るための情報を提供する約束と同列に置かれている。深刻なのは過大な願望の実現に向けた資金源を欠いていることだ。すべての目標を達成するために不足する資金は、毎年10兆~15兆㌦という壮大な規模になりそうだ。まず成功の可能性、成果が高い政策やより安価に実現できる政策に焦点を当てるべきだろう。⇒1⃣の記事で想定する、もともとの理想主義的スローガンは、「国防より福祉を!」や「国家間や国民間の強い相互依頼を基盤として、軍備なき世界を目ざそう!」だと思います。2⃣の記事では「SDGs(Sustainable Development Goals)」そのものが理想主義的スローガンにあたります。そして両記事とも、そうした理想主義的スローガンをナイーブに(無知なまま、無配慮に、無謀に)実行しようとして突っ走ることの危険性と非現実性への建設的批判と、現実に即した見直しやアプローチについて語っています。「理想主義的スローガン」には、このほか「地球環境/ 温暖化問題解決」、「人種やジェンダーなど様々な偏見の解決」また「コーポレートガバナンス/ ESG」、「働き方改革」、「人的資本経営」etc, etc, と枚挙にいとまがありません。こうした理想主義は、理念そのものとしてはほとんどの場合、正しく真っ当で、反対を唱える余地がないものなのですが、それらの理想を拙速にナイーブに追い求め、達成を確実にする為と称して達成度チェックのタイムテーブルを作成して、推進責任主体(国や企業等)に厳しく実現を迫る、という段になると、とたんに問題が百出してきます。達成度のチェックをするといっても、その前に実際に理想的状況を実現する為の具体策が必要ですし、それを実行する為の経営資源が担保されていなければ結局は「絵に描いた餅」になってしまいます。そこをすっとばして、達成度チェックをする人達ばかりが跋扈すると、責任をもって実行しようとする意欲をもつ人達も「こんなの無理!」と退散してしまい、結局互いに責任を押しつけあう非難合戦になってしまいます。ここで必要になってくるのが、冒頭に掲げた”Can we afford it?”という発想です。ここでいう”afford”という言葉は、「~をする/ 実現するのに必要な経営資源的余裕(金・時間・精神的キャパシティ)を我々は持っているのか?」、あるいは「そこまでの経営資源を投入するだけの余裕があるか?」「賄(まかな)えるのか?」「それだけの覚悟があるのか?」という意味です。“Are we determined to afford it?”とか”Do we want to pay for it?”ということでもあります。また”At the expense of~”というのは、「~という犠牲を払ってでも」とか「~の代償のもとに」という意味で、”Can we afford it?”と対句的に思い浮かぶ言葉です。★このあたり、私の英語力の限界がありますので、もし英語的に間違った使い方になっていたらご容赦ください。理想主義的スローガンを声高に主張し、実現の責任主体と目される国や企業を批判するだけの人達に欠けているのは、この”Can we afford it?”の発想だと思います!さらに言えば、この人達に欠けているのは、affordする(賄う)のに必要な経営資源や、そこに経営資源が投入されることで取り組めなくなる他のことが被(こうむ)る犠牲や費用(Expense)に対する配慮-“At the expense of”の発想 です。そうした配慮なしに、理想主義的スローガンを声高に主張するだけの人達は「無責任」であり、だからこそ私は、理想的スローガンのバズワードが出てくる度に、「ノー天気に上から目線で主張するなよ!」とか「その実現に必要な経営資源を(一部でもいいから)自分として提供する覚悟があるのか?!」と言いたくなり、さめた視点でそうした「バズワード実現・プロモーション」活動家を見ています。また、世の中のかなりの数の人達が、こうしたバズワードを流行らせることで金儲けをしていることについても、腹立たしい思いで見てきています。ここで言う「経営資源」は、通常は理想主義を実現するのに必要なアクションを可能にする人的資源やお金、また時間が想定されるのですが、私はこれに「精神的余裕」さらには「劣念抑制キャパシティ」(私の造語です)を含めて考えると良いと思います。「理想主義的スローガン」は、基本的には「善行」に違いありません。しかし、そこには、ほとんどの場合、それを実現する為のアクションに必要なお金や人材、そして時間という通常の意味での経営資源がついて回ります。そして、さらには実行にかかわってくる人達に、それらを活用する際に必要となる精神的余裕が求められます。たとえば、生活に困っている人(ウクライナやパレスチナで苦しむ人達等も含めて)を助けるには、こちらにそれを具体的に行うだけのお金や時間的余裕に加えて、彼らの生活の大変さを思いやるだけの精神的余裕がないとできないのです。現に自分が子供の面倒や親の介護で疲れ果てていれば、「ゴメン。気の毒だけど、今の状況では、その人達のことまでには手がまわらない。思いやるだけの気持ちの余裕がない」となるわけです。また、理想主義的スローガンの中でも、これまでの社会に根づいてきた伝統的慣習や通念を打破するようなものについては、affordする為の経営資源としての精神的余裕の中に「劣念抑制キャパシティ」といったものを入れて考えるのがよいと思っています。打破すべき伝統的慣習・通念として代表的なのは、男女間役割分担や格差の問題、さらに拡げるとジェンダー問題、また日本国内ではそれ程表面化しませんが世界的に見れば人種差別問題などがあります。こうした類の格差や差別は、頭では打破すべきとわかっていても、身についた習慣からついつい「差別は良くないこととわかってはいるんだけど、大っぴらには言えないけど、なんか気持的に受けつけないんだよね…」といった、ある種の原始的な「偏見にもとづく直感的な嫌悪感」が出てきます。私は、この劣った感情を「劣念」と呼んでいるのですが(「劣情」というと性的なニュアンスを含んでしまうので、「劣念」という造語を使っています)、「劣念抑制力」も含めての「精神的余裕」が経営資源の重要な要素だと思っています。以上、長々と書いてきましたが、まとめると:● 理想主義的スローガンをかかげること自体は素晴らしい● しかし、その実現の為の具体的なやり方や進め方の中身もなく、またそれに必要な経営資源への配慮や担保なしにスローガン達成を声高に主張するのは極めてナイーブであり、時に害悪ですらある● さらに、それを実現進捗度の行程表的に要求するのは、【具体的な中身の検討なしに株主が喜ぶような達成目標を毎年かかげ続け、結果的には毎年未達に終わる「実体なき中期事業計画」】と同じ轍を踏んでいることになる● これを防ぐには、”How do we achieve it?” “Can we afford it?” “At the expense of…?”という発想で、経営資源の担保を含めた思考が重要● その経営資源は、ヒト・モノ・カネ・時間に加え、「劣念抑制力」も含めた精神的余裕も含めて考えるべきだし、同時にそれを実行するだけの覚悟が必要● つまり、経営資源配分の裏づけなしに理想を性急に追い求めるのではなく、経営資源配分可能な(その中には劣念抑制力を含めた精神的余裕も加味した)”At the expense of…”や”Can we afford it?”の観点から覚悟できる、実現可能なやり方を追求していくことが重要問題意識が先走りして、かなり筆が走りすぎたきらいがありますが、読者の方々の知的刺激材料になれば幸いです。
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