まずタイトルを見て、「何のこっちゃ?」と思われたでしょうから、用語の解説から入って行きたいと思います。“It’s the economy, stupid!”というのは、ウィキペディアによると、日本語訳としては「経済こそが重要なのだ、愚か者」で、「アメリカ合衆国の政治においてビル・クリントンがジョージ・H・W・ブッシュに対して勝利を収めた1992年アメリカ合衆国大統領選挙の最中、広く使われた言い回し」となっています。当時、景気後退が見られるのにもかかわらず経済に対して的確に取り組まないブッシュより、クリントンのほうがよい選択肢であるというイメージを作るためのスローガンとして使ったとのことで、ずい分前に有名になった言いまわしです。次の”EBPM(=Evidence-based Policy Making)”は、定性的・情緒的な政策立案でなく、客観的な証拠(エビデンス)に基づく政策立案を意味し、最近、比較的頻繁に耳にする言葉です。この2つの言いまわしをもじり合わせて、今回私が作った言い方が”It’s CBDM(=Collective wisdom-based Decision Making), stupid!”です。即ち、クリントンの大統領選挙キャンペーンのスローガンでの”the economy”を、EBPMならぬCBDMに置きかえたものです。私はかねがね、組織戦略や事業戦略の企業研究に出てくるエンゲージメントや働き方改革(ホワイトーブラックープラチナ企業等も含めて)やリーダーシップ、またイノベーションの話を聞くたびに、「いや、そうじゃなくて、イノベーションをはじめとする事業価値創造は、結局は『衆知錬成の意思決定』こそが重要で、従業員のエンゲージメントとかリーダーシップのありようという、表層的事象に目を向けているだけでは、問題は解決しないんだよ!」と強く感じていました。最近この問題意識に響いてくる記事をいくつか見ていく中で、冒頭のクリントンの”It’s the economy, stupid!”と”EBPM”という、私の頭の中の言語在庫にあった2つの言葉がつながりあって、”It’s CBDM, stupid!”という言いまわしが浮んできた次第です。結論的なことを先に言ってしまいましたが、この言葉のトリガーになった3つの記事からの抜粋を紹介して行きましょう。1⃣ [上司に部下の提案を潰させない 革新力アップへ管理職に誇りを(日経ビジネス2024年7月15日号の「グローバルインテリジェンス From MITスローンマネジメントレビュー」という特集記事より)]ある男性従業員が画期的な新製品のアイデアに懸命に取り組んでいた。興奮して上司にアイデアを伝え、さらなる開発とテストの承認を得ようとしたところ、提案はすぐに却下されてしまった。アイデアを実現可能にする方法について建設的なフィードバックを提供する代わりに、上司は漠然と予算不足を指摘し、部下がそれ以上のアイデアを追求するのを思いとどまらせた――。…管理職はこの現象の大きな要因だ。日ごろ創造性を重視すると公言していても、従業員が提案した革新的なアイデアを日常的に却下し、その実行を妨げている。…部下が状況を大きく変える可能性のある新しい製品やプロセスのアイデアを提案すると、管理職はこれまで手にしてきたコントロール権限を失ったり、部下に地位を脅かされたりすることへの恐れを抱くかもしれない。…イノベーションの成功は多くの場合、画期的なひらめきの瞬間を経験する孤独な天才からではなく、従業員、同僚、管理職らのコラボレーションを伴う社会的プロセスからもたらされる。中でも中間管理職は、従業員の提案の中から有望なものを特定し、その発展をサポートすることで、イノベーションの促進者(ファシリテーター)として重要な役割を果たし得る。…伝統的なリーダーシップの考え方は長い間、個人の業績と革新を重視してきたため、中間管理職は自分たちの価値とアイデンティティーは画期的なアイデアを生み出す能力に結びついていると信じている。この信念は、ファシリテーター的なリーダーシップよりも個人の貢献を優先するパフォーマンス指標や評価基準によって強化されがちだ。…さらに、個人の業績が高く評価される環境であればあるほど、管理職たちはファシリテーターとしての役割を担うことが弱さや無能さの兆候と見なされるのではないかと心配するという結果を招き得る。…組織は、従業員の創造的なアイデアを支持した管理職に報いることを重視する必要がある。イノベーションの文化を育むには、個人の優れた才能だけでは不十分であり、他者の創造性を育み、力づける効果的なリーダーシップが必要だからだ。…管理職がメンターやファシリテーター、チームメンバーのアイデアの支持者として行動するよう奨励されると、管理職は自分の役割を、チームのメンバーと競争するのではなく、他のメンバーに力を与えることだと考える可能性が高くなる。⇒この記事における「イノベーションの成功は多くの場合、画期的なひらめきの瞬間を経験する孤独な天才からではなく、従業員、同僚、管理職らのコラボレーションを伴う社会的プロセスからもたらされる」という認識は、まさにその通りだと思います。「管理職たちはファシリテーターとしての役割を担うことが弱さや無能さの兆候と見なされるのではないかと心配する」という傾向は、この記事のベースとなるフィールド調査が中国のテック企業4社に勤める人達、ということが影響している可能性はあるものの、他の国の企業でも、似た傾向は見られると思います。しかし、その結論が「管理職は自らの役割を、革新的アイデアの発案者としてのリーダーシップでなく、他者の創造性を育み力づける効果的リーダーシップを発揮すること」、即ち「ファシリティテーティブ・リーダーシップへと役割認識を変えるべし」となると、「う~ん…」となってしまいます。「何で、そういう見方に持って行くのかな!?」ということです。要は、「革新的アイデアの最初の発案者なのか、それを後押しする役割なのか、アイデアの実現に向け手分けして協力する同僚なのかを問わず、このイノベーションという社会プロセスに、各人がそれぞれのスキルや特性を発揮しながら、相互触発と相互信頼、相互尊敬の中で、『立場の異なる協働作業者』として、チームとしてコラボレーションし衆知を錬成して意思決定し、一緒に実行に取り組む」ことが大事、ということだと思います。そのプロセスの中で、管理職自身は、自らの個人特性を生かして、アイデアの発案者であることもあれば、発案者をサポートする役割のこともある。そこに関わる全員がイノベーションをファシリテート(推進)する、ファシリテーター(推進当事者)として自らの力を発揮する。何も、「リーダーシップのあり方としてファシリテーティブ・リーダーシップが重要」といった捉え方をしなくても良いじゃないか、ということです。2⃣ [米製造業の旗手は120歳 新現場主義で斜陽克服(日本経済新聞2024年7月8日付 「NEO-COMPANY 私たちの逆襲②」というコラム記事より)]米南部ノースカロライナ州レキシントン。繊維工場の閉鎖で産業が衰えた街に今年、星条旗を掲げる新工場ができた。米鉄鋼最大手ニューコアの製鉄所だ。「何より大事なのは『チームメート』との関係だ」。生産ラインの担当者であるマット・タイシンガーさんは言う。決してきれい事ではない。製造担当者と監督者、品質管理者がチームを組んで働く。給与の3分の2は成果給。個人の成績ではない。チームとしてどう生産目標を達成し、品質を維持するかを評価する。成果を上げた月は給与が跳ね上がるが悪いと急減する。成果は全員で平等に分け合う。結束しなければ、報酬につながらない。従業員3万人のうち本社スタッフは200人に満たない。スティーブ・ラクストン最高財務責任者(CFO)は「現場こそが会社の存在意義だ。チームが私たちを勝たせてくれる」と語る。…終わりの見えない「鉄冷え」のなかニューコアはただ一社、気を吐く。10年で営業利益は5倍になった。時価総額は2.4倍の370億㌦(約6兆円)となり世界の競合を上回る。日鉄の約2倍だ。売上高は自動車や半導体を含む基幹製造業で米国の上位20社に入る規模となった。米国のものづくりをけん引する。米国が生み出した概念「株主第一主義」は世界の経営者に広がった。今、米産業界は行き過ぎた株主主義の修正を迫られている。短期の成果のみを追う企業が増えた結果、疲弊したのが工場や店舗の現場だ。…ニューコアに長く勤めるキャサリン・ミラーさんは「私たちは家族だ」と胸を張る。家族主義を成果主義で味付けした新たな現場第一主義が二十世紀初め創業の老舗を立ち直らせた。⇒これも、記事の中身自体は「なるほど、素晴らしい!」と思ったのですが、これを「新現場主義」の勝利ととらえるのは、少し違うんじゃないか、見方が表層的ではないかと感じました。「現場重視」はもちろん悪いことではないのですが、うまく行った真因は、チームを組んでのコラボレーション、即ち衆知錬成の意思決定と実行、そしてそれと同期したインセンティブシステム(=給与の3分の2はチームとしての成果給)の工夫なのだと思います。「新現場主義」ととらえてそれを称賛するだけだとこの記事で終わりなのですが、「チームによる衆知錬成の意思決定」ととらえれば、もう少し突込んで何が実際に起こったかを取材でき、それに基づいてもっと深く役に立つ記事になったのではないかと、残念に思いました。3⃣ [日本の有休取得率は主要国で最下位 休めば上がる生産性 問われる経営能力(日経ビジネス2024年7月15日付の「休めニッポン」という特集記事より)]…社員の年間休日140日、営業ノルマなしなどの施策で知られ「日本一幸せな会社」とも称される未来工業では、常識では説明しにくいことが起きた。「利益を上げるために、休みを確保する」。6月まで社長を務めた山田雅裕相談役はこう断言する。山田相談役の父で創業者の山田昭男氏が休みを増やしたのは、人材確保のためだった。いつしか話題を呼び、「日本一休みが長いという”振り上げた拳”を振り下ろせなくなった」と山田相談役は苦笑する。主力の電設資材を使う建築業界は住宅着工件数の減少傾向が続く。一方、未来工業は力強い成長を続け、24年3月期は最高益を更新した。成長が続くのは、省施工など「ちょっとしたアイデア商品が評価されたから」(中島靖社長)。コストだけ比べれば、未来工業の製品は決して安くないが、指名買いしてくれる電気工事会社がたくさんある。長期間の休みで心身ともに”充電”された社員のアイデアが業績を支えているのだ。⇒記事にあるように「日本一幸せな会社」と称される未来工業については、前々から着目していました。「年間休暇140日」、「営業ノルマ無し」に加えて、以前読んだ記事や書籍では、「給与は年功序列」「ただし、同年齢で比較すると、同業他社に比べて2割増し」「給与は同じでも能力のある人には、より多くの仕事や権限で報いる」「それでは満足できずもっと給与が欲しいという人は、どうぞ他社に転職して下さい。そこまで突出した人材なしでも、うちのやってる事業は、このやり方に満足した人達のコラボレーションで十分やっていける事業ですから」といったことが書かれていた記憶があります。未来工業の考え方は、株主第一主義的なグリーディな(貪欲な)資本主義の会社とは大きく違い、すべての会社が未来工業的な価値観で経営する必要はもちろんないのですが、「衆知錬成の意思決定と実行」を促進する上で、一つの有効なやり方だと感じます。前に記事や書籍を読んだのは数年前なのですが、その後も経営が順調で力強い成長を続けていることをこの記事で知り、とても嬉しく感じました。以上、クリントンの大統領選挙キャンペーンで使われた言いまわしとEBPM(Evidence-based Policy Making)をもじった”It’s CBDM(=Collective wisdom-based Decision Making), stupid!”という私の考えを、トリガーとなった3つの記事とともにお届けしました。ここまでの文章をあらためて読み直すと、多少(かなり?)強引な論理展開になっているきらいがありますが、読者の皆さんの何らかの知的刺激となり、楽しんでお読み頂ければ幸いです。
スパムが非常に多いため、一時的にコメントは受け付けないように設定しました。コメントを頂ける方は、CONTACT USにある当社のメールアドレスまで直接お寄せ下さい。