前回のブログを書き終えてから思ったのは、「で、どうする?!」意識が見られない発言/ 発信が8月15日前後も含めて世の中になぜこうも多いのか、という素朴な疑問です。こうした発言/ 発信の多くは、マスメディアだったり、そこに登場する学者だったり評論家といった人達なのですが、彼らには、そもそも「どうする?!」を発信・提言する発想や「そういうことを発信するのが、自分達の役割だ」という意識が弱いのかもしれない、と思うに到りました。そんな意識をもちつつfb(フェイスブック)をながめていたら、成毛眞氏(元日本マイクロソフト社長)の発信が目にとまりました。曰く(切り取りで恐縮ですが)、「日本のメディアはテレビコメンテーターも含めて、権力を監視するというメディアの機能を誤解して、無自覚に反権力になってしまって、結果的にアナキストに…」成毛氏は歯に衣きせぬ言い方が特徴のようで、その点は少し苦手なのですが、この発言には「なるほどそうなのか」と思いました。「権力監視」が役割とすれば、権力側である政府のやり方を批判することはあっても、「で、どうする?!」という対案なり具体的改善策を積極的に提言するのは、自らの役割ではないということになるであろうからです。その意味では、マスメディアからの発信やそこに登場する学者ら有識者のコメンテーターが、監視と批判だけするのも理解できます。しかし、であれば、批判からさらに反権力的なメッセージだけを発信するのは一方的過ぎるのであって、批判でないメッセージも同時に出さなければ、メディアを「公平・中立」と素直に思っている国民・視聴者に誤った全体像を伝えてしまうことになります。こんな風に考えてくると、そもそもメディアに対案発信を期待してしまった私の期待は、そもそも的外れなのかも、とも思います。それをふまえて考えると、メディアに登場させるコメンテーターには権力への批判を寄せる人達だけでなく、権力側の施策の良さも伝えてほしいし、さらにメディアは、こうした「批判・擁護」両サイドのコメンテーター達に、「で、どうする?!」の具体策(ないし、少なくともその為のヒントなり着眼点)を提示するよう促すべきではないかと感じます。もう一つ、こうした批判側コメンテーターについて感じることがあります。それは、彼らやメディア—もちろん全てではなく、その一部からそこそこの割合の人たち—が「権力」を批判しつつ、実は彼らの生活なり収入源が、現在の社会構造や制度や規制産業に乗っかったものであることです。規制産業のメディアしかり、国や社会の制度の中での職業である学者など、どれも彼らの批判の対象である「権力」がバックボーンにある社会制度の上で、生活の糧を得ている人達です。であれば、無責任に批判するだけでなく、権力なり社会構造をどう改善・改革していくのかについて具体的に提言する責任があると思います。(さすがに彼ら批判ピープル/「日本ダメだ産業」の人達が、発信した批判・言説が”受けて”(バズって?)、それによって金儲けしたいとまでは思っていない、と信じたいですが。)そうせずにいて、権力や社会制度に守られることなく自力で生活の糧を得ている大多数の人達に、「日本批判⇒日本・日本人はダメだ!」のメッセージを投げつけるだけでは、あまりに無責任・ノーテンキだと思うのです。さらに言えば彼らは、権力や制度に守られた安全地帯にいて、「批判をいくらしても、自分達に生活基盤を提供してくれている現体制はゆらがない」という「謎の安心感」のもと、「趣味」として、あるいは批判の言説によって収入を得るという意味では「趣味と実益」としての批判をしているのかも、と感じることすらあります。※「謎の安心感」と言ったのは、彼らによって「日本や日本人はダメだダメだ」と言われ続けた日本人や日本企業が自信を失ってしまい、大きな投資や新たなことへの取り組みをあきらめた結果、経済をはじめとして様々な活動が停滞・縮小して、彼らの安心感のもとになっている体制自体がゆらぎ、自分たちの生活基盤が崩れてきている。そのことに気づいていないと思われることが、「謎」と思う理由です。…と、批判をする人達を批判してしまいましたが、そういう自分はどうなのか?自戒として私は、何かの批判や問題提起をするときは、できるだけ対案や対応策のための着眼点を同時に提示する、それすら自分の能力的にできない時には、批判のトーンを弱めた上で「対案は今時点では出せず、ここでは問題提起にとどまりますが…」といった言い方をするように心がけています。P.S.:ちなみに私は、批判なり反対するだけで対案を出さない人を、社会人なり一人前の人間として認めない傾向があります。これは、私の社会人一年目の時の、上司からの叱責というか助言がきっかけになっています。当時私が配属された開発チームの最初のチームミーティングで、チームメンバー達が各自の仕事の進捗を説明するのに対し、私は学生気分が抜けない中で批判的なことばかり発言していました。それに対し、ミーティングあと、直属の上司に「籠屋よ、社会人というのは、誰かの批判をしたら必ず対案を出すのが責務だ。次回からは批判に終わらず、必ず対案や改善に向けたアイデアを出すよう心がけるように!」と言われたのです。それ以来、自分は誰かを批判する時、できるだけ対案を出すよう心がけ、またそうした対案なしに批判だけする人達を一人前の人間とはみなさなくなった、という経緯です。
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