数日前に書いた、事業仕訳に関するブログエントリーについて、2点ほど補足したいと思います。 ①事業仕訳は、本来の意味でのディベイトにすらなっていなかった。。。ディシジョンマネジメントとの対比で、ディベイトの持つ本質的問題点をあげましたが、それでもディベイトの持つfairness(公正さ)は、両陣営が、攻撃と反論の機会を同じだけ与えられる、といううルールを守ることです。その意味では、「そちらからの質問は一切受け付けません」と言い放つ仕訳人がいましたから、これはもはやディベイトですらなく、検察官が裁判官を兼ねるという、単なる「つるしあげ」の場と言われても仕方がないと思います。 ②ディベイト的な鋭い突っ込みと、その場で結論を出す事業仕訳をよしとする背景には、日本的な「完成品品評会」や「座談会」会議に対する自虐的思いがあるのでは?。。。日本企業の会議では、ミドルからの提言に対して、トップからの品評や評論家的な質問やコメントがよく見られます。何人かのトップが単にコメントをバラバラに発言するだけで、一向に建設的な議論が展開されず、結局、「で、どうする」が全く決まらないまま会議が時間切れになる、という状況です。 こうした会議スタイルに、自分たち自身も実は辟易しているところに、事業仕訳人たちが、一時間の論議のあと、かなり乱暴でも、とにもかくにも「廃止/凍結/見直し」というように結論を出す様子に、自虐的な快感を覚えた、という心理的背景があるのではないかと推察しています。 以上2点の補足をしましたが、いずれにしろ、論拠を明確にし、公開の論議に耐えられる提案を作り、それを実際に公開のもとで議論する、という事業仕訳の精神を生かしつつ、「品評会」でも「座談会」でも「ディベイト」でもなく、より「衆知と衆善の建設的ワークショップ(協働作業の場)」に持っていく努力をしてもらいたいものと、切に願っています。
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