トヨタ自動車が一連の米国での品質問題を受け、今後の対応の一環として現地にChief Quality Officer (CQO=最高品質責任者)を置く、という発表をしていました。これを聞いて連想して考えたことを、久しぶりに「エッセイ/論説」カテゴリーのエントリーとして書いてみたいと思います。 トヨタのCQOの機能は、主として製品・サービスの品質問題にフォーカスするようですが、その役割の一つとして、ぜひ「意思決定の質」、すなわちDecision Qualityをカバーするようにしてもらいたいものだと思います。現に発表では、CQOを米国に常駐させて、何か問題が起こった時には日本の本社にお伺いを立てることなく現地で判断・指示できる体制にするようなので、Decision Qualityも含めてのCQO、という発想は既にある、とみてもいいと思います。 私の今回のブログの主旨は、このDecision Qualityの重視という発想を、製品やサービスの品質の一部、という位置づけから、企業における全ての重要な戦略的意思決定を「Decision Qualityの確保と改善」という視点から包括的にとらえ、その活動を継続的に行う機能や人物を置いてはどうか、という発想です。 その意味で、Chief Strategic Decision Quality Officer(CSDQO:最高戦略意思決定責任者)ということになりますが、こう言ってしまうと、Chief Executive Officer(CEO)その人と紛らわしくなります。私のイメージするCSDQOは、戦略的意思決定のDecision Quality確保と改善においてCEOをサポートする人物なので、ここではChiefとStrategicを除いて、単にDQO(Decision Quality Officer)としておきましょう。 今、DQOはCEOをサポートする役割、と言いましたが、CEOのEはExecutionのEと考えると、DQOがサポートするのは、もしかすると株主の代表である取締役会会長(Chairman)が、CEO以下の社内役員の活動を監視したり助言したりするのを助ける、という意味で、Chairman付きなのかもしれません。。。私はコーポレートガバナンスの専門家でもありませんし、また多くの企業でChairmanとCEOは同一人物なので、これ以上の深入りはやめておきます。 一言だけ付け加えると、CEO以下の執行役員が業務を行うには、その企業・業界ならではの知識が必要とされるのに対して、社外取締役の大半はそれを持たないため、彼らが業界specificな知識を持たずしてCEO以下の人達を監視・助言するにおいて、Decision Qualityからの切り口は極めて有効です。。。業界specificな知識はなくとも、今回の判断・提案内容について、以下にリストアップする観点からの質問を行い、それに対して十分納得性のある答えが得られているかどうかの判断は、全く別の業界であっても経験を積んだ優秀なビジネスマンであれば、十分につきますし、また返答次第で様々な助言もできるからです。: ①今回の検討のフレーム(検討の枠組み)は適切か? ②選択肢は、創造的かつ実行可能なものを複数考えたか? ③情報は的確かつ有効なものが十分集められているか? ④価値判断尺度はどのようなものを設定したか、またそれらは適切なものか? ⑤結論を導き出すに際してのロジックは明確かつ正しいものか?/リスクの把握とそれへの対応策は十分か? ⑥関係者達の実行に向けてのコミットメントは十分に高いか?/経営資源の手当は十分か? さて、私が以上のようなDQOの重要性について考えた背景には、日ごろから感じている次のような問題意識があります。: ○ちょっと唐突かもしれませんが、皆さんはKKDという言葉を聞いたことがありますか?これは「勘と経験と度胸」という日本語の頭文字を取ったもので、いろいろな日本の企業で使われている言葉です。物事を決めるには、いろいろと迷いが出てくるが、その時、最終的にはKKDで決めてしまう、ということですね。 ○私はKKDはそれなりに正しく当たっていることが多いと思うのですが、前提として、「繰り返し似た経験をした中で培われたKKDはあてになる」ということで、繰り返し経験するチャンスがないものには、実は無力だ、というのが、ここでのポイントです。 ○KKDと非常に近い言葉に「直観」というのがあります。この間、池谷裕二さんという脳科学者の人の「単純な脳、複雑な『私』」という本を読んでいたら、「直観は、無意識的で、自動的で、正確無比」、そして「一回やっただけでは覚えない、つまり、繰り返しの訓練によってようやく身につく」とありました。 ○経営におけるKKDが、「無意識的で、自動的で、正確無比」であると嬉しいのですが、残念ながら、経営における戦略的意思決定に「繰り返しの訓練」の機会はなかなかないのが実態です。(。。。ちなみに最近何冊か、脳科学とか行動経済学関連の本を読んだのですが、この本は内容がわかりやすく面白く、結構お勧めです。) ○比較的小粒の事業を数多く持つ多角化した企業の場合は、最初は小さめの事業の責任者として経験を積み、徐々に大きく複雑な事業の責任者を経験し、最後に会社全体の経営を担う、というキャリアパスを用意することで、「繰り返しの訓練」の場を持たせることはできるかもしれません。しかしその場合でも、重要戦略課題のほとんどは、過去の経験則の応用で解が見出しにくいものが多いため、直観≒KKDはあまりあてにならない、と考えるのが妥当だと思います。 ○ましてや、会社全体の売り上げの80%以上を一つの事業が占める、といった企業においては、一つの機能部門の長の経験しかない人が経営陣になることが多いわけで、50歳、60歳になってはいても、経営者としての訓練期間がほとんどないまま「経営者」のポジションにつくことになります。したがって、直観もKKDも、そのベースとなる「繰り返しの訓練」がないわけで、あてになるはずがないのです。 ということで、長くなってしまいましたが、戦略課題への取り組みにおいては、KKDがあてにならない以上、まっとうにStrategic Decision Qualityに取り組むしかない、というのが私の結論であり主張です。その観点から、CEOないしChairmanの副官として、Decision Quality Officerの役割を持つ人物や機能を置くことを、一度考えてみるのが良いのではないかと思うのです。 P.S. 最後に蛇足ですが、CEO(Chief Executive Officer)は、今では新聞などで「最高経営責任者」と訳されており、またCOO(Chief Operational Officer)は「最高執行責任者」と訳されていますが、20年ほど前までは、それぞれ、「最高執行責任者」、「最高業務責任者」と訳されていたように記憶しています。 “CEO”の真ん中の”Executive”が”Execution(執行/実行)”から来ていると考えると、本来は昔の訳語の方が正しいのではないかと思うのですが、当時(20年ほど前)の日本のビジネス界の感覚からすると、CEO≒社長と考えると、たとえ「最高」とついても、「執行責任者」では、その権限の強さに比してニュアンス的に不十分、という判断で、「最高経営責任者」と訳しなおすことになり、それに連動して、COOの訳語が「最高執行責任者」に格上げされた、ということではないかと想像しています。 しかし、今や日本でも、CEOとChairman(取締役会会長)との機能の違いの認識も進み、また(実態がどうかは別として)取締役と執行役員の名称・機能分離もされていることからすると、本来の直訳である「CEO=最高執行責任者」、「COO=最高業務責任者」という訳語に、もう一度戻した方が良いような気がします。 どなたか、このあたり詳しい方からのフィードバックをお待ちしています!
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