久しぶりの読後独語です。「幸福の増税論-財政は誰のために」という本を読んで感じたこと、思ったことを綴ってみました。
本の帯に「新しいリベラルにとって、こんなにチャンスに満ちた時代はない」とあったように、リベラルの立場を標榜する著者による、従来のリベラルの人達の主張とは大きく異なる、責任意識を持った社会改革の提言書でした。「頼りあえる社会へ」「税と貯蓄は同じコインの裏表」「人間の扱いをお金では区別しない」「『弱者を助ける』から、『弱者を生まない』へ」など、印象的なフレーズが心に残りました。財政をどうするかという切り口で、現在の社会福祉制度は「弱者を救う」という発想で、低成長・成熟社会の中では、むしろ社会の分断を生んでいる。もともと明治以来、経済が成長する前提の中で、勤労と貯蓄を旨とし、税は軽くしておいて、もしもの時の為には、各人が自己責任で貯蓄に励み、万が一に備える。諸事情により勤労と貯蓄が十分でないのはやむをえない、と大半の国民が納得できるような人達だけ、例外的に社会全体で救う、というモデルでやってきた。しかし、成熟・低成長経済の中では多くの人が十分な貯蓄ができず、不安が高まる中で、例えば老後に備えてできるだけお金を使わないようにする。それが消費の低迷に繋がる。また、大多数の人がそうやって一生懸命働き、節約しても貯金も十分できない中で、社会的弱者と呼ばれる人達が、生活保護等を受けて楽をしている、ケシカラン!となって、社会的分断が進んでいく。このような状況を打開するには、「勤勉-貯蓄-自己責任」という経済成長を前提とした社会から「あいみたがい-相互扶助の社会」へ。具体的には、消費税を中心としつつ、他の税種も組み合わせた、バランスの取れた税金体系の中で増税し、それを原資に、もしもの場合に誰でも受けられる(富裕層も含めて)無料の「ベーシックサービス」を政府・自治体が提供し、貯蓄をしなくても「もしもの場合」の心配なく暮らせる社会を作ろう、という提言です。富裕層には、無料の「ベーシックサービス」は要らないだろう、という、予想される反論に対しては、富裕層といえども、将来の変化の可能性の中では、「もしもの場合」は生じうるし、何よりも社会的弱者という人達が、「助けてもらっている」という引け目を感じなくて済むし、彼らを見る「弱者といわれ楽して助けてもらって、いい目をみている」という見方もなくなり、「全員がもしもの時には全員を互いに助け合う」ということで、社会的分断がなくせるというものです。「ベーシックサービス」と言葉的に似ている「ベーシックインカム」に比べて、各自の自己責任感/自律心の有無による落差や「働かなくても食える」というモラルハザードが少なくてすむ、というメリットが大きいのではないか、という著者の論には納得させられるものがありました。この分野に素人である私なので、この人の論旨だけで影響を受けすぎるのはまずいとは思うのですが、聞くに値する提言だと感じました。「リベラルvs保守」という観点では、私はもともとは「リベラルっぽい」のではないかと思ってきたのですが、ここ十数年のいわゆる「リベラル」の人達の「当事者意識なく実現性を顧慮せず、きれいごとを言って、実務の責任を担う人達を批判することで自己満足している人達」というニュアンスが強くなる中で、保守と呼ばれる人達の方がずっとまし、自分も現状の色分けでは、あえていえば保守なのかなと思ってきました。その意味で、この著者の提言は、久しぶりに聞く、「良心的・当事者意識・責任感」をもったリベラルサイドからの提言として、好感を持って読みました。今後も、この種の議論(この提言への反論、保守サイドからの対抗提案も含めて)に耳を傾け続けたいと思っています。
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