昨日、「グローバル資本主義の本質と課題」といったテーマのシンポジウムに参加してきました。トータル8時間の長丁場で、経済、社会、法律分野の著名な学者の方々に加え、実業界の人達からも問題提起がなされ、それにもとづくパネルディスカッションが行われ、なかなかに充実したセッションでした。 私は単なる一参加者で、質疑応答の時間が短かったので一つ質問ができたくらいだったのですが、いくつか気づきがありました。 大学の人文社会系の先生たちの話をちゃんと聞くのは、学部の教養の時以来かもしれないな、などと思いながら話を聞いていたのですが、それだけに普段あまり耳にしないタイプの知的刺激をいろいろ受けることができました。 ただ、話を聞いたり、司会者から参加者への問いかけを聞いていて最初に強く感じたのは、そもそも何について議論するのか、また質問における言葉の定義がはっきりしていないな、ということでした。私のディシジョンラボでのいつものワークショップでは、まずそうしたフレーミングをはっきりさせ、使う言葉の定義もある程度しっかり確認・共有したうえで議論に入っていくのですが、このシンポジウムでのそうした手続きをふまない議論に対する、違和感、といったものです。 ただ、セッションが進んでいくうちに思ったのは、これは、議論を通じて解決策を作り上げていくフェーズでなく、まずは議論を発散させて、様々な論点をあぶりだすフェーズという認識で、だからパネリストも主催者側も、フレーミングや言葉の定義についてあまり気にしておらず、従ってあまり「で、どうする?」的な方向の議論にはならず、また会場の中でも、私のような意識で聞いている人もあまりいなさそうなんだ、という理解をしました。 その意味では、私もこのセッションを通じて、普段気付かない、知らなかった視点をいくつかもてたので、「そうか、時には、こういう、定義もフレーミングもあえてはっきりさせない、『で、どうする?』も気にしない、発散的議論も有効なんだな」という感慨をもちました。 この感想に加え、あと二つほど、印象に残った言葉、論点を記しておきます。。。ひょっとすると私の理解不足で発言者の本来の意図とずれているところがあるかもしれませんが、ご了承ください。 〇自分は資本主義を基本的に是とするが、自由放任主義を放置すると、資本主義に本質的に内在する投機性ゆえに、バブルとパニックが行き過ぎるので、自由放任主義を何とかしないといけない 〇グローバルな意思決定は極めて難しい。。。そもそも、意思決定主体が誰なのかを民主的に決めることに関する民主的プロセスそのものが存在しない。さらに、文化的背景の違う文明圏で自明としていることをもとに作ったルールを、他の文明圏に強制的に適用することは、必ず問題を発生させる 以上、とりとめのない雑感でした。 。。。ということで、一応「時には発散的議論も有効」という主題でしたが、さはさりながら、やはり私としては、発散フェーズに続いて、そこで出てきた様々な多面的論点を踏まえて、フレーミングを明確にした、「で、どうする?」の収束の議論のフェーズがなければ、単なる「知的茶飲み話」で終わってしまうので、今回のシンポジウムの続編が開催され、そこではもっと「で、どうする?」の議論が展開されることを期待したいと思います。
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